ほいほいそうこ

70年代生まれ、アダルトチルドレン。メンタルこどものまま中年になりました

人の幸せをうらやむ

こんばんは、まぬえらです

最近昔の友人から「店を出しました、遊びにきてね」と連絡がありました。昔からの夢だったそうです、おめでとう

それまでその人は会社勤めしながら趣味の創作活動をしていました。1年くらいまえかな?に退職してしばらく連絡を取っていなかったのですが、この度そんなご報告LINEが来たんです。

ちなみにその店は創作活動とはなんの関係もない店。そっちの活動はしばらく休止というか時間も取れないしいつ復帰するかは未定とのこと。

まぁ、それだけなんですが、率直にいってめちゃくちゃ羨ましいし嫉妬の嵐。ただなぜかその連絡を見たときは単純な嫉妬とは違う、なんとも言えない頭にモヤがかかったような感じになりました。

それでもあえて言葉にするなら「羨ましい」。でも単純な嫉妬や羨望とは違う。それはなんなんだろう、そして何故なんだろうとしばらく考えました。

  1. 友達の成功?
  2. モヤモヤ感情の分解
  3. 羨ましかったのはこれだ!
  4. 自分も得られるのかな

友達の成功

友達が開くお店は飲食店です。わたしも一時期カフェやりたーい、と思っていたことがありましたが、あれは結局カフェでなくてもよかったというか、別の願いを抑圧していた結果残っていて自分にできそうなことがそれだった。(今となってはできそうなことどころか無謀だけども)

なので、カフェを開く友人を自分もやりたいのに羨ましい、というのではないんです。

自覚できている「羨ましい」は会社を辞められることかな。わたしはとにかく通勤が嫌いだし、長時間オフィスに縛られて他の人と一緒にいるのが嫌です。まぁ気ぃ遣いぃなので利害がある人といるだけでとても疲れる。でもそれなら自覚があることなので、モヤモヤにはならないと思うんですよね。

それがネガティブな感情だとしても…

モヤモヤ感情の分解

たとえば、あー会社辞められて羨ましいー。わたしだって辞めたい。会社勤めしなくても稼げる様になりたい。結婚してるからいいよねー、もし失敗しても夫さんの稼ぎでしばらくはなんとかなるしさ。準備期間だって仕事に行かなくても生活できるもんね。

同じ毒親育ちなのになんでFちゃんは夢を叶えられるの?ずるい。毒親でもFちゃんは祖父母っ子って言ってたから、彼らに愛されてたからかな?

ていうか、なんでFちゃんは愛されてなんでも手に入れられるん?毒親育ちだよ。優しいパートナーがおり、その前の趣味の活動でも活躍してて、その上見た目もいいし、そんで持って夢を叶えた⁉︎不公平すぎるでしょう

あれ?

あれれ?

羨ましかったのはこれだ!

ここで気がつく、「ズルい」「不公平」という言葉

(わたしが勝手に)Fさんは(毒親育ちだから)自分と同じ仲間だ。同じように苦しんでそれでも頑張って生きている仲間だ。自分は1人ではないんだ、そばに同類がいるんだ、と決めつけてそれに依存していた。

それがその人の周りが変わって夢を叶えるという、わたしが思う究極の幸せを手に入れたことで置いていかれた感を持ったのかもしれないです。

それがまた、やっぱりわたしは特別なんだ、特別にダメなんだに拍車をかけた

それを認めてなかったのでモヤモヤという、はっきりしないけどネガティブな感じで表面に出てきていたのだと思います。辛みだわ

わたしも得られるのかな

究極の幸せって書きましたけど、内情知らないんですよね。仲のいい友達でもないし、知り合いに毛の生えた程度。

だから本当に幸せを感じてるのか分からないし(もしかしたらすごい抑圧があるかも)、夫さんのこともよく知らない(もしかしたら健全なメンタルじゃないかもしれない)、経済状況も分からない(もしかしたらデビットまみれかもしれない)、とその真逆の可能性だってあるし、そんなことはなかったとしても

今に至る努力とか苦労とか悩みとかなんも知らんわけです。その辺をすっ飛ばして、自分の妄想に当て嵌めて、羨ましいズルい不公平だ、と思っていたわけですね。

そうすると、本人には何も言ってないにせよ、申し訳ないです。スミマセン

じゃあ今度は自分は、幸せを感じて日々生きられるようになるんですかね?ってきになる。

例の成功の法則を信じられないことについて

結局、ここにたどり着く。この法則はとまかく、慈しみの自給自足。

愛情を感じられず周囲は敵と感じるような環境だったのなら、その前提を書き換えるしかない。過去には戻れないから、上書きしていくしかないのです。時間はかかるけど、世の中そんなに悪くない、と思えるなら幸せに生きられるのかもしれないです。