ほいほいそうこ

70年代生まれ、アダルトチルドレン。メンタルこどものまま中年になりました

仮)海外旅行の記録

そんなに頻繁に旅行に行く人間でもないけれど、でも思いおこせはいろんなところ行ったなと思って、改めて感想などを書いてみる。

いい記憶も嫌な記憶も、自分で消化するのに文章にしてみるのもいいかもしれないと思ったので、できる限り感情も思い起こしてみようと思う

 

初めての海外旅行はアメリカ合衆国西海岸、小学校の時。当時親戚家族が住んでいたので、1ヶ月ほど遊びに行った。サンフランシスコとL.A.

1ヶ月もいたわりにはあまり思い出がない。覚えていることは、初シェーキーズ(多分)で、やけにアイスクリームが規格外、味も取り放題なのも、だったことかな。あと他のお客さんでおじいちゃんおばあちゃんのカップルが来ていて、彼らもアイス山盛りとってたことに驚いた。お年寄りってそんなにアイス食べる生き物なの?

ゴールデンゲートブリッジの下を通る船に乗った。寒かったのでホットココアを頼んだら、マドラーとして、細いストローが刺さってた。妹がまんまとそれで熱いココアを吸ってしまい、舌をやけどしてギャン泣きした。

スーパーが広かったなぁとか、親戚の家が広かったなぁとか。ヨセミテに行ったのに何も覚えていないのは勿体なかった。そんなことに興味もない小学生にヨセミテは早かったか?

帰りの飛行機でゲロ吐いた、最悪。やっぱり母親がキレた。

 

2回目は中学2年の時のシンガポールアメリカよりもカルチャーショックを受けた旅だった。外国だーって芯からそう感じたところだった。

この頃のシンガポールは今ほど洗練されていなくて、ローカルのマーケットの水浸しの床をうわぁ(引)って歩いた記憶がある。夏バテになるし、パクチーも食べ物大体なんんかくさいし、日本食レストランに連れて行ってもらって、ホテルで寝てる時間が長かった。親は夜にホーカーを楽しんでおった。

初日に食べたインドカリーは美味しかったな。あとワンタンミー(汁)を試しに1個頼んで、家族で分けて食べた。

逆にサテーは甘くて受け付けなかった。甘い焼き鳥しかもピーナッツ味ってなんじゃ?

ココナッツジュースもダメだった。パックのではなくて、ココナッツカチ割りのやつだったから生ぬるい。香りは甘いのにジュースはほとんど甘くない、なにこれ。それで他のジュース買ってもらったらビニール袋にはいってるしで、驚いたことばかりだったな。

 

3回目は、カナダブリティッシュコロンビアでの短期留学。中学3年生受験生の夏休みに行かされるという。。。ホームステイで区内の他の学校の子達と一緒に行くという、コミュ力が必要とされるものだったので、本当に行きたくなかった。行きたくないって言ったら、なんで行きたくないのよ💢バカか!みたいなことを怒鳴られて大泣きした記憶。

実際に行って、楽しくなかったし、友達できなかったし、日本での塾の夏期講習も行かなかったので裏で噂されたりして、嫌なことの方が多かった。

ここでも色々新しい体験経験をした。ファミリーが近くの公園に連れて行ってくれて、それまで大きな公園(木々が生い茂って川が流れるような)に行ったことがない、東京の下町っ子だったので、緑豊かな公園に感動した。バンクーバーで朝ごはんに連れて行ってもらった時も、朝から甘いパンケーキクリーム増し増しを食べる文化に仰天した。もちろん食べきれなかった。

バンフっていうスキーで有名な観光地にも行った。そこのホテルでランチビュッフェで初ズッキーニ食した。黄色いズッキーニのグリルがあって、黄色型からポテトと間違えて山盛りとったら、まさかのきゅうりみたいな感じのもので、気持ち悪くて食べたれなかった。

ちなみに同じグループの男の子に、食べきれないなら取るなよってボソッと言われて、悲しかった恥ずかしかった。知ってたら取らんわ!って思えなかった自分がかわいそう。それくらいかな。とにかくクソな旅だった。お小遣いも確か3万円までって決まってたのに、結局他の家庭は、足りないと思うって10万くらい持たせてたことを知って、土壇場でうちの母親は焦って財布から札を全部取り出して私に持たせた。千円なんか両替できんがな。案の定、現地で両替できなかった。この3万円位決めたプログラムもクソだし、なんも考えずそれに従っていたうちの母親もアホ。行きたくないって言ったら、怒鳴るくらい娘を留学に行かせたかったのに、夢見るばっかりで現実的なことをなにも考えていない。この旅に関しては被害者気分がとても強い。

 

4回目は多分香港だった。香港島のマンダリンオリエンタルに泊まったと思う。断片的に記憶に残っていることとして、フロアの数え方が日本と違って混乱した。

ガイドブックを見て4階って書いてあったから、エレベータで4階をおしてついたらそこには目当ての店がなかったということがあった。ここで初めて学んだ。ガイドブックもなんで4階って書いたんかな、マジで。

食べ物は朝のお粥体験。味はなにも覚えていないが、朝にお粥屋さんに行きたくて歩き回った。

高級住宅街は眺めながらのケーブルカー、あと映画のロケ地というのビーチまでバスで行った。親が行きたがった

 

5回目はシンガポール再訪。

ホテルの朝ビュッフェでウェイターさんとぶつかって、プレートを落としてしまった。当然向こうも謝って片付けてくれたんだけど、それを見てた母親が、「あんた、なにやってんのよ。恥ずかしいわね」って怒ってたことを覚えている。なんなの?向こうがよそ見してたんだもんとかなんとか、言い返したと思うが、本当に人を恥呼ばわりするあの人はおかしいな。

それはともかく、この旅行でパクチーを克服した。スチームボートも楽しめるようになった。この時にチキンライスが好きになったんだよね。あとリトルインディアの屋台で、お好み焼きっぽいものを買い食いした。あれなんだったんだろ?すんごい油っぽいけど美味しいかった記憶。

 

6回目、冬の韓国ソウル。ほとんどなにも覚えていない。寒くて体調崩して辛すぎた。

よもぎ蒸しとかドームサウナとか行ったと思う。有名な伝統茶のカフェにも行って、私が飲んだのは多分棗のお茶、多分だけど。美味しかったけど、「お茶」というイメージからはかけ離れていて、コレジャナイ感がすごかった。余計に具合が悪くなった。とにかく寒かった

 

7回目はたしか高校卒業後に友達と行ったオーストラリア。シドニーケアンズのツアーで行った。ツアー旅行は好きじゃないな。朝、真っ暗な中起きてバスに乗ってとか、楽しくない。食事も決まっていることが多いし、一緒に行った友達が、ダイエット中とかでほとんど残しておいて「勿体ないから」という理由で私に食べさせる暴挙を繰り返しており、ほとほと嫌になった。

食べ物では出会いがあった。いまだになんだかはっきりしないけど、カレーヌードルでエビとココナッツの風味があるものをフードコートで食べた。カリーミーとかカトンラクサあたりだと思うんだけど、この組み合わせは人生はつで食べた瞬間舌がびっくりした。でもなぜか食べたくなる味で、きみょうな味だけど美味しいと感じるものだった。

 

8回目は韓国再訪かな。ちょっとこの辺はあまり海外旅行に行っていないはずで、あまり覚えがない。でも韓国にもう一度行ったのは確かで、この辺の時期だったと思う。

今回は夏?とにかく寒くない時期。あんまり観光の記憶はないが、空港からホテルまでにきれいな街並みがあったのを覚えている。

あと市場に行った。なにも買いたいものはなかったけど、店番してる人たちが普通に店内でご飯食べたりしているのが新鮮だった。

ソルロンタン、焼肉をようやくここで楽しんだ気がする。(前回は寒すぎて、食べることすら楽しんだ記憶がない)

 

9回目は大学を卒業して、友達と行ったタイ、バンコクーアユタヤーホアヒンの旅でしょう。

食事の思い出は正直ない。でもタクシーで運ちゃんの妻子連れでホアヒンまで行ったのとか、帰りに列車でバンコクまで戻ったこと。象に乗った(よくない観光商品だと、今は思う)こととか、初めてホテルを予約せずに、ホアヒンからバンコクに戻って、二人で宿を探したりとか、冒険が多い旅だった。

 

10回目。短期留学をアメリカのサンディエゴでしてきた。1年くらいの留学を考え始めた頃で、どんなもんかと試しに2週間行ってみた。

ホームステイは疲れると思ったので、学校の借りているアパートに入ることにした。この同居人の日本人がクソだったな。19歳の日本人の男の子(草好き)と付き合っているアラサーの日本人女性(北海道出身)。やけに日本人に対する風当たりが強い(涙)。今思えばあれば劣等感の裏返し。全然英語喋れないところに、片言で喋る日本人、しかも同性が現れたら劣等感刺激されるよね(知るか💢!)学校卒業しても家賃を払わずに住み着いてた。新たに韓国人の子が入ってきて、ベッドに空きがなくなったらソファーで寝起きしてた、しかも彼氏と一緒に。でも元から住んでるフランス人の子がその子と仲良くて、彼女を住まわせるって。本当に嫌だったな。韓国人の子はもちろんキレてたな。でもああやってアメリカで生活してたらもっと英語話せるようになったかな。

2週間とはいえ、韓国、台湾の子達と仲良くなって、近所のプールやモノレール(電車?)乗ってモールに行ったり、それなりに楽しく生活をしてた。NYから転校してきた子たち曰く、サンディエゴ校は緩い。向こうはめちゃ厳しくてその分上達もするそうだ。

ハンバーガー屋さんのパテがボリュームあるのはいいが、ニオイが強くて、もうアメリカのバーガーは食べたくないと思った。

 

11回目は、シンガポール再再訪。アメリカからの帰りにシンガポールに数日滞在して、それから日本に帰った。初めてこの国で安いホテルに泊まった。といってもゲストハウスではなく個室のYMCAでした。

それにしても、L.Aから成田で乗り換えてチャンギ空港って、自国で乗り換えるって経験はもうしないだろうな。

お金のない旅行だったので、あまり食事も観光もしていないんだけど、自由に街を歩いて、公園や庭園に行ったり、バスに乗って動物園に行ったりしてみた。オーキッドガーデンだったかな、が個人的にはお気に入りになった。あと動物園のさる。

 

12回目はフランスのパリにバイト仲間5−6人で行った(人数多い)。真冬のパリは灰色だ。

ルーブル行って、オルセー行って、ベルサイユ宮殿に行って、オペラ座も見て、さらにモンサンミッシェルにまで行ってふわふわオムレツ食べた。そこでは有名なサブレを買った。旅行中、一人が風邪を引いてしまって大変だったのだけど、私は楽しめた気がする。

あとこの旅行でマリアージュフレールの紅茶を教えてもらったんだ。サロンに行って、選んでもらったお茶飲んでアイス付きのアップルパイ食べて、その頃には友達も元気になってきて楽しかったな。あのパリのサロンは変な見た目の人がたくさんいて、面白かった。自由だーって感じた、

ブランドものも初めて買った、定番ヴィトンのポーチ。もう手放したが、使い勝手が良くてずいぶん長いこと使わせてもらった。

あとあの有名なナイロンバックのブランドで買ったキーホルダーが激カワだった。あそこのバッグは使い勝手的に趣味じゃないんだけど、可愛いとはいつも思っている。

ルーブル美術館は相当広い、回りきれなくて今度また来ようと思いつつ、このあと一回も来ていない。

 

13回目はどこだっけ?もうマルタ共和国かな。とにかく行くのに時間がかかる。

ドバイ乗り換えでいった。中東エリアは初めてで、でも空港から出てないけど、ドバイがキラキラしていてすごかった。眩しすぎて、今度ここに旅行にきてみたいと思った。

マルタに着いた時の感想は、イメージと違う、なんか小汚い。パリのような大きく荘厳な建築物がない。

ここでも互角学校に行ったので、アセスメントテストを受けた。その結果Intermidiateのクラスに振り分けられた。一人日本人の女性がいたけど、なんか愛想ゼロで風当たりがきつかった。サンディエゴ留学を思い出した。

とはいえ、毎週スキューバ行って、友達もできて、マルタパンやゴゾチーズのファンになった。はじめはちまちましたロマンのかけらもない建物が並んだ街だと思ったけど、カラフルなクローズドバルコニーやドアが連なる落ち着く街並みだと思うようになった。ドアはマジで可愛い。家賃に折り合いがつかず、あのクローズドバルコニーのある部屋に住めなかったのが心残りだな。

 

14回目は、オーストリアのウィーンと15回目チェコプラハ

マルタからウィーンの空港に降りて、久しぶりにデカい建物群を目にしたのでビビった記憶がある。酒を飲まないのであまり食事の思い出はないな。とにかくこの頃はウィーンに憧れがあったので、行けただけで満足だった。

泊まったゲストハウスが入っている建物がまた古くて、エレベーターがいい感じだった。なんと説明したらいいのかわからないが、いい感じ。映画に出てきそう。

ウィーンは自転車ロードが整備されていたのも印象に残っている。チャリで動けたのでよかった。やけにみんな英語喋れるし、助かる。

ウィーンからプラハは列車。初列車で国境越え、多分。

でもぼーっと街並みを眺めていたことくらいしか覚えていない。プラハの方がウィーンより野暮ったい雰囲気。金に執着する商売人が多かったな。

泊まったホステルがこっちは最悪だった。夏場は早めに予約するべきだった。

混合ドミトリーで、2人住み込みのスタッフが寝起きしたけどマジで最悪。あいつはマジで最悪。仲良くなったアルゼンチン人のお姉さん曰く、マリファナ臭がすごいとな…

他に韓国人女子グループも同じ部屋でなんか安心した。別室にシンガポール人の男の子も宿泊してたけど、丁寧な子だった記憶がある。しかし超アメリカ英語を喋る女子のグループが、粗相をやらかしており、旅に出たら羽目を外さすにはいられないのか、せめてもう少しボリューム落とせ、ドミトリーの部屋でイチャイチャすんなと気持ち悪くて仕方なかった。アメリカの人への苦手意識が加算された。(その前はサンディエゴの変質者で大幅加算)

プラハ城、例の橋、路面電車、大時計のある広場。風景は最高にいい街

食べ物は脂っこい

 

16回目はイタリアのシシリー(シチリア

シシリーは日帰りと泊まりとで通算2回は来てるんだけど、まとめて16回目の外国旅行とする。メインはカターニャタオルミナカターニャに滞在中は雨が多くて、がっかりした記憶が。それ以外だと食べ物の記憶くらいしかない。ブリオッシュ+ジェラートの朝ごはん。あとここのホテルでラスクが朝食に出てきて、しばらくラスクとヌテラの朝ごはんにハマってた。

タオルミーナはケーブルカーとか乗ったっけ?バスだっけ?道が狭くて行くのが大変だった記憶。ただし景色が美しいねー。またゆっくり行きたい

シシリーの1番の記憶は、エトナ山だ。夏に行ったので非常に軽装で行ってしまったら、めちゃめちゃ寒かった。山登りじゃなくでも、山に行く時はあったかくしよう

 

続きは次の記事で