ほいほいそうこ

70年代生まれ、アダルトチルドレン。メンタルこどものまま中年になりました

【諦め癖】自分を接待する【がっかりを上書きする】

こんばんは、まぬえらです。

先日友人達と出かけた時に気づいたことがあり、投稿しようと思いました。

早速ですが、私は諦めるのが早いです。希望通り・期待通りに行かなくても「仕方ない、こういうこともある」「自分ではコントロールできないことだから」と自分に言い聞かせます。それはホント無意識に、自然な流れでそういう思考に至るのです。

例えば誰かと映画を見に行ったとか、食事に行ったとかそんな時、その映画が全然面白くなかった理、レストランが期待外れだったりすると、居心地の悪さを覚えます。そしてなんだか自分が悪いような気がしてくるのです。
そして、なんとかその「つまらなかった」とか「美味しくなかった」などのネガティブな感想を少しでもよくしようと努力をします。つまらない中でもよかった点とか、美味しくなかったけどいい経験になったとか、そういうことです。
その努力自体を否定するつもりはありませんが、疲れるし自分が悪いのかもという自己卑下が入っているので、失敗してはいけないという思いが強くなってしまいます。結果、冒険ができません。

一人の時はまだマシです。自分が我慢すればいいだけなので、「仕方ない、こういうこともある」で自分を宥めて終わりにできます。ですがこの前友人たちと出かけた時は違いました。
友人の一人は、私とは真逆で諦めが悪い、欲しいものは手に入れるタイプの人でした。この人はバックグラウンド自体も一般的には恵まれている方なので、それが当たり前の人生だったのだと思います。お金たくさん持ってるし...

まず最初に出かけた場所が期待はずれのカフェでした。内装も味もいまいちで、長いしたくなくすぐに出ました。その時の私はそのお店を話のネタにしてなんとかその場がネガティブな空気にならないようにしました。その時の彼女は、これからどうするかと考えて、新しくできた店があるから見てみようというので、みんなでいくことにしました。

結果、そこもレビューほど良くなく対して何も見ずに店を出ました。ここでも私は今日はツイてないねーなど場を和ませることに終始神経を注いでいました。正直なところ、面白くないしさっさと帰りたかったです。その間彼女は他の可能性を探して、食事時だし、新しくできたここに行ってみようと別の提案をしました。特に検討を重ねたわけでもなく、写真の見た目で決めたようでした。

そこは馴染みのないエリアでしたので、行くまでに迷ったりして、私は今日はもう適当なところで解散だな、と思っていました。ですが結果として、その店は大当たりでした。それまでのガッカリ感があったので、期待のハードルが低かったのかもしれませんが、とにかくこれまでのネガティブな思いは見事に上書きされました。

そこで私が思ったことは、自分はすぐに諦めていたな、ということでした。1回の期待はずれが全ての結果で、それは自分にはどうしようもないから仕方ないんだ。そんなにガッカリするな、いい経験になったでしょ。次はこの経験を生かして反省したものでした。
気づいたのは、そんな風にいつも考えていたんだということでした。そういう風に育てられたから。
聞き分けがよく、親を困らせず親を喜ばせ、安心させるように振る舞ってきたので、そういう癖がついてしまったのだと思います。

もちろん毎回、上書きできるとは限りませんが、もう少し粘ってもいいんじゃないかと思うようになりました。
その友人は基本的には金で解決するタイプの人で、なんでもやりたいことをやって他人も金で集める(奢るとかパーティ開くとかして)人だと思っていて、多少軽蔑していた節がありますが、この欲しいものを手に入れる努力は賞賛に値します。
自分と正反対の人と付き合うことのメリットってこういうことなんだなと実感もしました。

この事があった翌週、私は一人で気になっていた展覧会に行ってきました。観光地で年末なので混んでいるだろうと想定していましたが、想定以上の混み具合でした。傾向として3時間後くらいには空いてくるのはわかっていたのですが、これまでの自分ならばその3時間を待つことはできず、展覧会は諦め、その分どこかで高めの食事でもして帰って鬱々とするパターンでした。
でも今回はちょっと違う選択をしてみました。おそらく空いてくるであろう時間まで、別のことをして(幸い観光地なので見るところはたくさんある)、適当な時間に戻ってみて入れそうなら入ってみるというプランに変更しました。その結果、時間潰しだったはずの久しぶりに行った場所も、途中で入ったカフェも、元々の目的の展覧会も全て楽しむ事ができました。

初めての経験でした。初めて得る達成感でした。これまでは人と一緒に何かに根気強く並んだりして、結果目的を達成することはあっても、人につられて渋々並ぶという状況でしたし、達成感よりも安堵感の方が大きかった気がします。自分の選択で、自分のために物事を簡単に諦めないことってこんなに気分がいいことなのですね。粘っても手に入らないことも多々あるのでしょうが、自分のためにそこまで粘ったという過程も大事な気がします。おそらくこれまでもちょくちょく小さいことで勇気を出したり、努力して欲しいものを手に入れたことはあるのでしょうが、意識していなかったのであまり記憶に残っていません。勿体ないことをしました。

得られた結果を少しでも良く捉えて、満足することと、やりたいこと欲しいものをなんとしてでも手に入れる努力を惜しまないこと、どちらも自在に使えるようになると、人生楽しくなるのでしょう。