ほいほいそうこ

70年代生まれ、アダルトチルドレン。メンタルこどものまま中年になりました

人に相談するのが苦手 その3

こんばんはまぬえらです。
相談回避をする癖をやめたい。

相談することを回避する。毎度それを繰り返す目的が何か。

  • 他の手段を取ると損だと思っているから損をしないために
  • 他の方法では失敗すると思っていて失敗はしたくないから
  • これが唯一の方法だと思っている

前回でここまできた
これを自分のケースの当てはめてみる

  • 回避以外の手段では損をすると思っているから損をしないために
  • 回避以外の方法では失敗すると思っていて失敗はしたくないから
  • 相談を回避することが唯一の方法だと思っている

そして、この段階で曖昧になっていることを明確にしようと思った

  1. 回避すること以外の他の方法・手段とは具体的にどんなことをイメージしているのか
  2. その手段を取った時に考えられる「損」とはなにか
  3. 同様に「失敗」とは何か

回避以外の方法・手段とは

自分の場合はいままでのカウンセリングでやってきたアプローチで考える。
まずきっかけとなっている思い込み、
人に聞くなんて迷惑だし依存だ・自分自身が相談したりすぐ人に聞くなんてダメなやつだ

そういう思い込みがあるから他人からもそう思われると考える癖がついている。だから回避以外の手段としては、この思い込みを無くすということになるのだろうか。

けどこの方法だと思い込みへの反証が必要になる。具体的には相手への共感や客観視。例えば、相談されたり質問されたりするのはイヤなことばかりではない。頼られているなと嬉しく思うことだってある。だから相談することがダメだとは言えない。って感じ。

ただこれをやったところですぐに思い込みは解けたりしない。何度も繰り返し反証をして、自分の頭の中にいるもう1人の自分に別の可能性を「そうかも」て思わせていくことが必要になる。

これだと結局今までと何も変わらない。「そうかも」って思うようになる前に「やっぱりね」って思うような出来事にあったりして解決に向かって進んできる気がしない。
そういう場面になってしまったときには、こうして相手の状況を想像すること自体もやりたくない。なんでこんな人をイヤな気持ちにさせるような言い方をして憚らないやつに共感してやんなきゃならないんだと、そう思ってしまう。これが周囲への敵意を生み出して、相談したらバカにされるかも(そう言う人かも)という思考を生み出す。そして繰り返す。

この反証をして思い込みをなくすっていうやり方は、自分的には効果は薄いと思っている。

一応アドラー心理学の考え方を噛み砕いて教えてくれる本にも頼ってみた。
「困った時のアドラー心理学
正直あまり今の問題に関しては頼りにならなかった。

テーマの中で、吃音を笑われている気がする、と言うのがあり、その解決に至る過程で提案されていた考え方。ほんの一部ですが抜粋すると、

『待てないでひどい言葉を投げかける人があったとしても、皆がそんな態度をとることはありえません。ですから、むしろこれまで好意的に接してくれた人のことを思い出してください。』

でもね、これは今までやってきたこと。
あとはこんなことも書いてあった。

『もしもまわりの人が吃音について正しく理解していないというのであれば、理解してもらう努力をすればいいのです。』

これはわたしのテーマで言えば、相談の仕方を工夫する努力が必要ということだろうな。
でもこれもね、「説明がうまくてわかりやすい」「人をイヤな気持ちにさせないで想いを伝えられている」周りからそう評価されるくらいのコミュニケーションスキルを身につけてきているんですよ、わたし。もちろん相談の仕方も依存的に聞こえないようにとか、聞くタイミングを測ったりの努力をしている。それでもあからさまに否定的な態度の人はいる。
仕事というプレッシャーやストレスの中でのことなので、相手の余裕がなくそう言う態度になってしまうのかもしれませんが。


アドラー心理学の考え方で言っているのは、そんな人ばかりじゃないから勇気出せってことなんだろうと思う。
けれど、「やっぱりね」を何度も経験すると、もしそうだった場合の心のセーフティネットや“そんな人"じゃないかどうかを見定めるコツというかスキルが必要だ。

そんな勇気が出せない人はどうしたらいいんだろうか。人と関わる勇気、その関係の中で傷つく勇気を持てない人はどうしたらいいんだろう。

ほかに回避以外の方法はないのか。

いったん今までのカウンセリングからもアドラーからも離れてみた。まえに職場のヒステリー同僚に困っていたときに読んだ本を引っ張り出してみる。
「すぐに怒鳴る人、すぐに怒る人に怯えない技術」
あまり期待しないで開いたんだけど、ちょっと気になったところがあった。
人の不機嫌を自分のせいかもと思ってしまう人向けの章のなかで、

『失敗をしても間違っても、「それを受け入れてくれる自分がいる」という安心感を持つことで、なりふり構わず他人に頼ることがなくなります。』とある。

まぁ、ですよねーという感想だけど、いつも忘れてしまうこういうこと
自分を受け入れてくれる自分でいるためには、ついつい自己を否定してしまうのをやめるようにすること、だって。

これも結局は「ダメだ」っていう思い込みを解くという方向性なんだけど、共感とか客観視とかは飛び越えてただ自分を認める系の方法だ。むかし変なスピ系のセミナーとかで言われた、自分の良いところを毎日書く、みたいなのに近い。
この回避癖に関しては、共感よりは向いている気がする。反証をしたところで「やっぱり相談するんじゃなかった」と思うような目にあったとしても、イヤイヤ相手に共感しなくていい。必要以上に傷付かずに次に行ける。

要は図太くなるってことかなー。自分に自信があるというのは最強だな。
本当はきっと物事を俯瞰的にみて、相手の立場なんかも想像してという手順を踏んで自信をつけていくものなんだろう。そっちの方が健全な気がする。

それでもこと「相談を回避する」ことに関しては、嫌な顔されても冷たくあしらわれてもまぁまぁ平気と思える自信を一足飛びでつけたいとは思う。
もうすこし他の手段がないか考えてみることにする。