ほいほいそうこ

70年代生まれ、アダルトチルドレン。メンタルこどものまま中年になりました

例の法則を信じられないことについて

こんばんは、まぬえらです。

コロナ社会になってからNetflixを観はじめました。今更な感じですが、映画やドラマをみまくって現実逃避してたのしいのです。時々見終わった後に目の前の現実がつらくなるのがAC的にデメリットです。

最近はガッツリ観たいわけじゃないけど、ちょっと気になるかなという作品をテレビがわりに流したりもしています。

そのうちの一つ、ザ・シークレット。いわゆる引き寄せの法則を絶賛し推奨するドキュメンタリーフィルムです。

個人的には引き寄せの法則という宇宙法則があるわけではなく、自分の心理状態というか価値観や世界観が大きく変わり、その結果行動が変わり、現実世界がかわる。そんな因果のことだと思っています。

なので引き寄せの法則は嘘だとまでは思わないけど、妄信することが理解できず、どんな事をこの映画の中では言うんだろう?という興味がありみてみました。

無意識で無理だろうと感じた作中では機能不全家族育ちでもできたと言っているが…彼らにはできても私にはできないと無意識に思う理由まず出来ること

  • 無意識で無理だろうと感じた
  • 機能不全家族育ちでもできたと言ってるけどさ
  • 彼らにはできても私にはできないと無意識に思う理由
  • まず出来ること

最初はどんな内容なんだろうとおもってみましたが、映画の中でも先に書いたのと似たような考察で拍子抜けしました。

たしかに偉大な宇宙の力みたいな私からしたら胡散臭いことを言っていましたが、思い込みの力を活用という理解のようでした。もっとあやしいことを言って欲しかった。そうおもっていたら、やっぱり、実際に紙に書いてクロゼットにしまってどうこうしたり、理想のイメージを描いてどうこうしたり、月の光を当ててーとか言い出して、わくわくしました。

実際にそんなことをやってきた人もいる反面、自分ではトライしてみようかとは思えないのは、この手段(月の光にあてるとかおまじない的な部分)の根拠の心許なさだけでなく、どこかで自分には無理だろう」「どんなに信じてやってみても望んだ現実になることはないだろう」という確信が有るからなのかしら、と思いながら観てました。

おまじないや占いとかもそうですが、信じこめてその通りに行動できること自体がすごいな、と思うわけです。

なぜ自分には無理だろうと思うのか。

これは意識して無理だと思っているわけではなく、現実的な想像が全くできないのでそうなのだろうと思うのです。このフィルムの中で言われていたことは、あたかもそれ(自分が望んでいること)がリアルに起きているかのように想像してください、です。その願い、望みが現実になったら毎日どんなだろうか。朝起きてから寝るまで、365日どんな生活を送るのか、そしてどう感じるのか。

昔、引き寄せの法則を盲信していた人も同じような事を言っていた。でも私の場合はその想像が難しい。きっと自分はハッピーだろうということしか想像できない。プロセスがすっぽ抜けて結果だけ想像する。

空っぽな感じなので、きっと無理だろうと思ってしまう。

ただ漠然とACだから無理なんだ、自分が幸せを感じて生きられるなんておもえないから、と考えていました。でもこのフィルムの最後の方では、機能不全家族育ちでも、ホームレスを経験してもこんなに今は幸せですよ、と。やってみましょうなんていってるんですよね。

そうすると、ACであることは直接的な理由ではないんだろうと。この人たちと自分との違いはなんだろうとかんがえてみました。

そういってもよく知らない相手なので偏った考え方しかできないですが、彼らは日本生まれ日本育ちではないように見えました。多分アメリカの人かな。家族単位ではそれぞれの環境があり、安全安心を感じルーティン家庭ではなかったかもしれないけど、もう少し広い社会単位での違いがあるのかもしれないとは思います。

うちは親が親なら、その親(祖母たち)もきつかったです。わたしにとってはですが。妹は気に入られてましたね。可愛げがあったのだと思いますが、反面わたしはいつも忘れられてたし名前で呼ばれない(お姉ちゃん)とよばれる。呼ばれても最初には呼ばれない、そういえばお姉ちゃんは?みたいなオマケ的な扱い。わたしの意思は聞かれない。というのを書いていて思い出しましたわ。

そんな親族や学校、近所の社会でも結構忘れられたり、世代的に生徒が多いので常にその他大勢で目立たないし成績も良くないしとか先生たち的に特徴も薄く、いてもいなくてもいい子って感じでした。少なくとも自分はそう扱われていると感じていた。

その辺りが理由になっているのでは?

この社会で家庭や学校生活ではついていなかったけど、頑張れば何か成し遂げられる。より幸せを感じて生きていける。とは根っこの部分で思えない。幸せを感じる力が瞬間的で弱い

そもそも自分はこの世界の一部ではなくて、おまけみたいなものだからってどこかでそう思っているのかもしれません

そうするとその根っこ世界観のさらに土台を変えていく必要があるということかと思います。

少なくとも自分目線では、自分を必要としてくれる慈しんでくれる人はいない、その世界のまま幼少期を過ごしその世界観で生きてきた、だから他人とも真に心の通った関係を築けず、大人になり一人で生活できるようになってからそこにさらに磨きがかかり今に至る。そんな感じでしょうか。

話はそれるけどペットを飼うということでその、自分はこの世界に不要でただのおまけ、という概念が薄れるかもしれないですね。私がここまで表面的には真っ当な大人になるまで生きてこられたのは、当時飼っていた猫たちのおかげだと思ってますし。安易に動物を飼うことには反対派ですけど。

ではどうしたらいいんじゃい

慈しみの自給自足から始める

誰も必要としない、好きになってくれる人はいない、助けてくれないという思い込み

この世界は基本的には敵かわたしは要らないという世界観

自分は愛されない存在であるという前提条件

ここからはじめるしかなくて、でも他人とのコミュニケーションの中では、この思い込みを強めてしまうことだって起きうる。だから自給自足。

よく言われる(のかな?)自分で自分を褒めたり、認めようというのはそういうことで、例外なく100%慈しみ認める。ここでよくできたことだけを褒めたりすると自分の親と同じになって、期待通りに出来なければわたしは世界に不要っていう価値観を支えることになってしまうのです。

引き寄せとか理屈はわかるけど若干ウサンくさいと思いながらみた映画でこんなに自分の世界のことを考えるとは思ってなかった。良い機会でした。

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