こんばんは、まぬえらです。 仕事でちょっとショックなことがありました。
自分が上の人と、ちまちま下調べしてきたプロジェクトが始まりそうなのですが、メインでアサインされたのは同じチームの別の人。
パッと見、積極的には動かず、言われたらやりますけど(できればやりたくない)な人。ただ彼は専門性と幹部候補?での入社なのでそういうことになったみたいです。
それを聞いた時、なんでわたしじゃないんよー(がっかり)って気持ちでした。
- 疑問 これは悔しいという感情なのか?
- 悔しいとはちがうかも
- 劣等感?焦り?自己防衛?
その日は同僚の八つ当たりなども受けていて、かなりの凹みデー。仕帰りの電車でも頭の切り替えがうまくできず、ずっとこのアサインメントのことを考えてしまう始末。
なんで〇〇さんなの?わたしやりたかったのに、悔しい。なんだけど、ただこの悔しいという気持ちに違和感があって、具体性がないというか、ふんわりとしたイヤな気持ち。状況的に「悔しい」というのがぴったりはくる、でもしっくりこない。
あまりにそればっかり考えていて、けど同時に小学生の頃の縄跳び大会(そんな謎大会があった…)のことを思い出していました。
疑問 これは悔しいという感情なのか?
これが大会というだけあって競い合う。いろんな縄跳び種目において、クラスで選手が選ばれるというやつ。
運動苦手だったわたしはそんな選手事とはずっと無縁だったけど、なんかの種目(なんだったか忘れた)は自分的にはまぁまぁ出来てる!と思っていて選手に立候補したんだったと思います。
それで選手を選ぶのにクラスの中で候補者同士が記録を競って、いい記録だった人が選手になる。そこでわたしは選手になれなかった。そして泣き出してしまった。その時のことを思い出していた。
クラスメイトに「まぬえらちゃん、そんなに(泣くほど)選ばれたかったの?」って聞かれて、なんかトンチンカンな答えを言った気がする。
- わたしはやりたかったのか?
- これは悔しいって感情なのか?
悔しいとは違うかも
いまあらためて、自分でそう訊いた時に出てきたのはノーだった。なんの種目かも定かじゃないし、なんで負けたのかも覚えてないし、なんで選手になりたかったのかも良くわかってない。 本当にそこまで感情が動かされるほど悔しかったのなら、覚えているもんじゃない?というのがわたしの持論
これはあれだ、進学先や就職先を選んだ時と同じだ。脳内のお母さんの声。
劣等感?焦り?自己防衛?
海外の支社を巻き込んだ、そんなに大きくはないとはいえグローバルなプロジェクト。お母さんの好きな英語を使った仕事。
きっと叔母夫婦や知り合いに自慢できるでしょう。「まぬえらったらなんかよく分からないけど、プロジェクトリーダーなんてやってるみたいで、忙しそうなのよ。全く仕事ばっかりで実家になんかきやしないわよ。」
と、自慢げに言っている母の姿が思い浮かびます。 そうだ、脳内のお母さんがやってほしいとわたしにプレッシャーをかけていたんだ。それに答えられなかったから「お母さんに怒られる」と思ってざわついた気持ちになったのだと思います。 自分を守らなきゃ!
悔しさとは違う感情でしたね
人が自分の悪口を言っているのを聞いてしまったような。自分がダメ人間だという証拠を見つけてしまった感じです。
どうしようという焦りとか劣等感を必死になって抑えている、そんな時の感情です
悔しい気持ちが湧いてくるのは、やれることをやって力を出し切ったけど、及ばなかったり運がなかったりした時なんだそうですよ。
アダルトチルドレンは失敗を許されない環境で育ってきていることが多いので、そもそも力を出し切るまでやるなんてことはないんじゃないかな。
力を出し切ってそれでもできなかったら、それこそダメ人間扱いされる。なんてバカな子なんだと言われてたから。
だから、今回はちょっと力抜いたんだから、こういう結果でもしょうがない
そうやって心を守ってきたんだと。ただそうは言ってもね。
自分はまだ本気出してないなんて、全力を出さない言い訳というか、全力でやらないことを正当化してるんですね
まだまだ周囲には人が思ったような結果を出さないと、バカにしたり、否定したりする人もいるので要注意ですが、対抗できる力も持っているので、全力出して悔しがる経験をしてみたいとも思うので