こんばんは、まぬえらです
今は多少マシになったけど、昔から「なんか良いこと言おうとするも、思い通りにならない」というのが結構ありました。周囲から期待通りの反応がもらえない、辛いです。
相手から面白い、できるやつ、ステキ などなどの高評価を得たいんですよね。
- 小学生の頃からキャラ作り
- 仕事ができる人だと思われたい
- 想像とはかけ離れた結果になるワケ
- 現実とはかけ離れた妄想から抜け出す
小学生の頃からキャラ作り
小学生から高校くらいまではツンというか、【普段はおとなしいけどときどきすごく鋭いことを言う】キャラを演じていて、 大学でも似たような感じで
【言う時にはバシッと言うふだんはクールだけど厳しい先輩】。さらに社会人になってからもそんな感じで、
【管理職にははっきりと物申す派手じゃないけど頼れる同僚】ポジションを獲得していました。 とてもイタい。
キャリアを積んだ近年では上司やさらにその上の層の人間と話すときにこの傾向が出ます。【淡々と与えられた業務をこなしているが実は管理もできちゃう女性ながらに(←注 ここに自分のジェンダーバイアスも入ってる)使えるヤツ】
これはいい評価を受けて出世したいとかではなく(管理職やってたこともあるけど辛すぎてやめた)ただ、すごいね、頭いいねって思われたい。それだけ
仕事ができる人だと思われたい
最近ではこんなことがありましたよ。
会社の経営層の人と一緒に得意先訪問したんです。大きい取引先で、現在進行中の案件の話と先方担当さんが変わったので挨拶を兼ねて。それだけ。
上の人がついてきたのは、あわよくば新しい商品の売り込みをしたかったからでこの人なりの目的があった模様。
わたしとその人のメインの目的はちょっと違った、それなのにわたしは数日前から悩みまくっっていました。その人に良く思われたい。なんかこいつ面白い、すげーやつだ、使えるって思われたい。
ちょっとくらいそう思うことは悪くないと思うんだけど、そこに囚われてしまっていて同行することが決まった日から当日まで延々と、
- こんな発言したら”まぬえらさん分かってるねー”思ってくれるだろう
- こういう流れになったら、仕事ができる人として評価してもらえるはず
こんなことをぐるぐるループして考えていました。 途中で気づいては止め、また考え出して気づいては止め、の繰り返し。 とても疲れた。
なにか困ったことがあったわけではないのに、ずーっと悩み続けていた感じです。
そして結果はどうだったかというと、当然考えていた通りのシナリオにはならなかった。 初見の先方の担当の人は思い描いていた人とイメージがちがったし、期待した反応をしてくれなかった。ずっと考えていた「良いセリフ」を無理やり突っ込んだけど見事に聞き流され、同行者もその発言について言及してくれなかった。
あんなに考えたのに!悩んだ、と言ってもいいくらいにずっと考えていたのに思い通りにならなかった。自分、ダメ人間! 恥ずかしい。ダメなやつって思われたかも。
こういうことは、最初に書いたようにずっとわたしにはよくあること。すぐ自分を責める癖については以前に書きました。
加えて今回の妄想癖。なんかいいこと言って、相手の反応も良くて、上の人にも高く評価をされる。そんなドラマか漫画の世界の主人公になりきるような妄想。これが自己嫌悪・自己卑下に拍車をかけています。
本来なら、得意先訪問の目的ははっきりしていたのでそこにフォーカスすべきだったんでしょうけど、なぜか自分がよく思われたい、ってところに照準を合わせていた。
または目的を同行する上層部の人に良い評価をしてもらいたいを目的に変えて、そこにむけて行動するのなら悩まなかったのかもしれない。その人の他人への評価軸をリサーチしてそこに向けて役作りをする。うん、そんなのもアリだ。
でもわたしが頭の中でしていたことはそれでもなかった。
今回の例に限らず、そう言う風にみられたい、というのは別にいいと思うんです。その所属している社会での自分のペルソナ作りだし。自分でそう思えるような自分になりたいと思うのも、いいと思う。
想像とはかけ離れた結果になるワケ
わたしの場合はそこに他者への共感が圧倒的にたりていなくて独りよがりになりがち、と言う問題がある。 「こんなことを言ったら格好いいと思われるにちがいない」って言う思い込みで行動しているのが問題。そのために考えることを止められない。
過去の自分のイタ発言を振り返るといろいろ恥ずかしくて仕方がないです。
その時には”いいこというオレ”、って思っていたけど。客観的な証拠に乏しく、自分目線しか考えない発言だったから、その発言で傷ついた人がいたかもしれない。であれば、格好いいどころか「空気の読めない無神経な人」「自分に酔っている痛いヤツ」って思われていたかもしれない。
実際に昔働いていた会社の先輩には「思い込みが激しい」「空気が読めない」と飲み会の席で言われたことがあった。 自分としてはみんなの顔色を伺って、悪く思われないように、良い人仕事ができる人と思われるように動いていたつもりだったので、とてもショックだった。
いま思えばその先輩に”もうちょっとソフトな言い方ないのかよ” ですけど。
とにかくこういうのは、他人の存在を忘れて自分1人で考えているからいつまで経っても答えは出なくて同じところをぐるぐる考えてしまうんだと思います。単なる終わりのない妄想なんですよね。
もし他人を想定しながら考えるとなると、”もしかしたらこの人の立場ならこういう発言があるかもしれない”→”その時にはこうしよう”という対策が打てる。ここで一旦答えが出るから考えることは一旦ストップする。
でも他人不在で自分だけで考えていると、どう考えても現実ではそんなルートにはならないよね、っていう無限のアイデアが湧いてきてそれに対していちいち自分が理想的に思われるための対策を打つ。キリがない。際限なく考え続けても答えが出ないから不安になる。これが悩みになる。
現実とはかけ離れた妄想から抜け出す
そうはいっても過去のことだしこれから気をつければいいじゃんって思うかもしれないんだけど、そういう独りよがりな考えになる癖はそんなすぐには抜けないんです。
だから今のわたしは悩んでいる。
自分でそれをわかっている、けど止められな。それが悔しいのね。
その延々と続く妄想が楽しくてモチベーションになるのならいい。アウトプットすれば創作活動でしょう。
でもわたしの場合はそれを現実に持ち込んでしまう。現実世界ではみんなが(自分も含めて)妄想の中の通りには動かない、それでも妄想をやめられないから気負いすぎて緊張して辛くなる。だからやめた方がいいよねと思ってる。けれどやめられない、というここに戻ってくる。
繰り返しになるけれど、このような長年(意図せず)育ててきた思考の癖は、同じくらいの時間をかけないと抜けないの。このさき何十年とこれをやっていくのか、とても気が重い…。
小学生くらいからやってることだからな、生きている間にこの癖が抜けるのかどうかも分からない。
気づいたら止め、というの繰り返していくしかないのか。
もしくはヒプノセラピーなどの手法に頼って、一気に解消できなくてもそのスピードを上げることはできるかな。 わたしは結構ヒプノセラピーが効きやすい(過去に2回思い込み解消に即効だったことがある)ので期待はできるかもしれない。
でもそうやってモウソウの中で自分が言われている言葉は、自分がずっと言われたいと思ってきたこともあると思う。さらに自分の思考が言われたいことなので、突き詰めるとうちの母親が言われたいことでもある。そんな両方が混じっている気がするんです。
だから無条件に妄想ループを止めるのではなくて、どっちが(自分か母親の刷り込みか)言われたいと思っていることなのか判別して自分で認めてあげることも必要なのだ、きっと。