ほいほいそうこ

70年代生まれ、アダルトチルドレン。メンタルこどものまま中年になりました

自分をキライだと何をやっても満足しない

『ここ間違っていましたよ。前も同じところでミスありましたよね。重要なデータなんでもっと気をつけて下さい』
こう言われて、「悪かったなミスして」「自分でやってもいないくせに偉そうな」「言い方いやみったらしくない?」

はたまた、「この仕事向いてないのかも」「こういう業務苦手」「ダメなやつって思われてそう」

これが私の瞬間的思考パターンです。
これでも自覚している分マシになった方。前は本気で相手が悪いと表には出さなくても逆ギレしたり、仕事をやめようかと寝る前に悩んだ理していました。
確かにこの例文の言い方だと相手側にも責める意図かあったように見えますから一瞬カチンとくるのは仕方ないとしても、そこにキレるのはおかしい。だって間違えたのは事実でしょ。難しいことだったとか、自分に向いていないとか、どんなことが原因理由であったとしてもそこは変わらない。

私はこの傾向がとても強いので、前のblogでもよく同種類のことを書いてきました。

3個も書いてた(多分他にもあるはず)

シチュエーションや内容が変わっても何度でも襲ってくるこの思考回路。根本を変えない限りこういうふうに自分を責めるのは続くのだろうなとおもって解決に取り組んではいます

。自分を自分で責めているから、相手にキレたり自己卑下や自己嫌悪に陥ったりする。自分の分身にミスを責められている感じでしょうか。

その攻撃をそらすために他の人=ミスを指摘した人のせいにする。その攻撃をもろにくらって落ち込む。私の場合は自分の分身と言うよりお母さんのイメージだけど。

自分で責めてしまう原因はその時々で色々あると思うのですが、自分は「完璧主義」「すべき思考」が根っこにあることが多いです。
でも最近ふと思ったんですが、自分の中で完璧にできなかった、〇〇すべきなのにやらなかったって自分を責めるのは当たり前のようにやってるけど、相手が他人だと必ずしもそうはならないよね。

同僚でイマイチ仲が悪い、というか一方がもう片方を一方的に嫌っている人間関係があります。嫌っている方(仮に Aさん)が嫌われている方(かりにBさん) より経歴的には先輩。 Aさんはかなり厳しいひとなんだけど、 私がちょっと間違えてもなんども繰り返さない限り「大丈夫よー」。おんなじ間違いをしたら気を付けろって言われるけど、次の瞬間には「ここ間違えやすいから大変だよねっ」てフォローの言葉をくれる。

でも気に入らない Bさんが間違えたら、「また間違えてる!なんどいったらわかるの?」「ほんと分かってないっ」て激怒。

私がちゃんとというか中々良いフォローが業務上でできてたら、「やってくれたのー?流石だねー」とベタ褒め。

Bさんがちゃんとやっても、「やれてあたりまえですから!毎回これくらいできるようになって下さい(調子に乗るな)!」ですよ。


この A さんの所業についてはとりあえずおいといて、相手への感情でこんなにも反応違うのかよ。
いや、いままでの人生で何度もいやというほどこんなの見てきてるけど、自分自身に当てはめたことがなかったので新鮮です。
つまり、自分は自分のことが嫌いまたは気に入らないんだねってことをあらためて気付かされたのでした。


ミスをしたり、最初の期待通りの結果が出せなかった時に、瞬間的に自分の分身からダメ出しが入る。このABの関係とならべてみたら、自分にとっての自分ってAさんにとってのBさんじゃん。なにやってもイラつくんじゃん、気に入らないんじゃん。完全に嫌われてるわー


自分自身に対して、また間違えてる!全然ダメ!ってダメだししてるのは、自分を気に入ってないってことなんだなぁというのをいまさらながら納得。
心理系の本を読んでカウンセリングに通って、”自分を嫌ってるから”と書かれていて、なるほどなーと思っても実感はなかったのね。そのときはそういうことなんだなーと受け止めてはいたけど、我が身に起こっていることとして感じてなかったみたいです。


キライなやつがなにやっても気に入らないんだから邪魔したくなるよね。飽きっぽいというか物事が続かないのも多少はここに理由があるかもと思います。それは今度考えてみよう


それじゃぁなんで自分に嫌われてるんだろうか。

そりゃBさんにも言いたいことだけど、嫌われる/嫌がられるであろうことをやってくからなんだよね。
A さんが後輩のBさんにこういうアクションを起こして欲しいといって、でもその通りに動かなかった。理由をつけて避けてきた。 
Aさんが会話の中でいま自分に注目して欲しいだろうなってときに自分のアピール話しをしてしまう Bさん。
経験は浅くとも知識は豊富なので、聞かれていなくてもその知識をはなしだしてしまうBさん(そして長い)。

そして A さんは自分が中心にいたい人なのでそういうの苦手。  2人の場合はAさんの価値観とか主観の押し付けが強いところとかももちろん原因なんだろうだけど、自分の場合はどうだろうね。


そうなると人生遡ることになるんですよね。
やってきてるんだよ、嫌なこと。

私の場合は好きなことを好きだと言わなかった、やりたいこと憧れたものを求めなかった・我慢した、自分を否定されても怒らなかった、負けて悔しがらなかった。あからさまな行動とかよりも感情の抑圧っていう意味で嫌なことをしてきた気がしますわ。


たとえばAB さんからは少し離れて、自分の代理人とか食事とか服のオーダーメイドとか、親友やパートナーとか、上司とか。おねがいしたことをやってくれなかったそれも何度も、自分がボロクソ言われているのに隣で笑顔で対応していたそれも毎回、信用できねーなこいつってなるよ。自分の脳内でそれが起こっている。

でもここで疑問に思った。なんで色々抑圧されて自分自身を嫌いな自分 が、完璧主義やすべき思考を押し付けてくるのよ。逆でしょう。そいういうのをおしつけられたから自分を嫌っているのでしょう。自分を嫌っている自分、Aさんに当たる自分は他にいるってことですね。



それは私の場合は、母の価値観を受け継いで結構厳しくそのレールを外れないかみている。なんでその自分が自分自身を嫌っているのだろうかと考えると、やっぱり過去に遡って、母の期待通りにして褒められたい一心で価値観を踏襲した自分が Aさんに当たるわけだ。それが抑圧されてきてきた自分Bをことあるごとに叱り飛ばしている。それで自分Bはさらに自分が嫌いになる。好きあらば乗っ取ろうとおもって突拍子もない行動に出たり、Aにバレない範囲で好きなことをやったりでも本当に望んでいることではないから抑圧はなくならなかったり、これの繰り返し


せつねぇ、自分のことを外側から掘り下げようとすると切なくなるな。

無駄なすれ違い。解決策として、第三者目線(客観的な視点)を入れることをいままでも取り組んではいるんだけど、そのおかげで自分で責めていることに結構すぐ気がつける訳だけど、このAB視点で見直してみてもいいかもと思う。自分に嫌われている前提で考えたらもっと効果的な客観視ができるんじゃないかな。

いままで客観的に物事を見ることに結構な労力をついやしてきたんだけど、すぐそばにいい例が(状況的にはよくないけど)いたので、自己卑下とか自己嫌悪の時には彼らの関係を参考にさせてもらおう。