ほいほいそうこ

70年代生まれ、アダルトチルドレン。メンタルこどものまま中年になりました

人と比較して優越感に浸ってしまった

こんばんは、まぬえらです。更新5日目になりました。

早くブログを書くということを習慣化したいと思っていますが、まだまだですね

  

ちなみに私の通勤時のルーティンはまず英語学習のポッドキャストを聞いてそのプログラムが終わったら BBCかAljazeeraを聴くと、になっています。

とにかく通勤がいやなので、他に意識を向けられてかつメリットを得られる手段として始めたわけですが、当たり前のようにアプリを開くようになるまでには2−3ヶ月かかっています

 

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 今日は英語にからんだ優越感の話。

人と比べて「まだ上がいるんだ」「あのレベルに届きたい」ではなく、「彼に比べて私はまだまだ」と落ち込むことはよく聴く話で、私もよくあります。

 

ただ反対に人と比べて優越感に浸ったという悩みは、検索するとたくさん出てきますが、リアルの会話だとあまり話題に上らないように思います。

優越感を抱いたって話は人に言いづらい。わざわざ言わない事ですね。

  

 優越感は心地いいから刺さらない

 

のではないかと思っています。

 

人は嫌なことってよく覚えていて、私が書いている記事のように後から思い出すことは容易です。嫌なことは脳に刻み、同じ様な危険なことを回避するための機能です。

また楽しかったこと嬉しかったことも同じで、思い出として心に残ります。

 

それに比べると優越感というのは後から振り返っても全然残っていないんです。強いネガティブな感情を引き起こさないし、自分を(一瞬ですが)上げてくれるので心地いい。ですが思い出にもならないので空虚でもあります。

  

 自分の方が上手いはず

 

現在はポッドキャストやニュースを聞く以外に英語学習などしていないのですが、英会話教室に通っていたことがありました。

 

昔は今ほどパーソナルレッスンがメジャーではなく、グループレッスンばかりでした。当時行っていたスクールはレベル別にレッスンが設定されていても固定メンバーではなかったので、毎回初めて会う人が隣にいる感じで。

そんな中、時に優越感を持ってしまう自分が恥ずかしいなんてことがありました

 

その時の私の頭の中では、

「この人は留学経験ないから、留学した自分の方が英語が上手いはずだ」

と同時に

「なんで人と比べているんだろう。自分の勉強に集中しよう」という会話が自分の頭の中で始まりまるんです。

 

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 比べてしまうのは自信のなさが原因だけど。。。

 

優越感に気づいてそこに悩むような人は、自信がないから人と比べて安心を得ようとしてしまう、なんてことは百も承知。

私だって「そんなことわかってる。でもついやってしまう。」とずっと思っていましたよ。

 

結局悩みはするけど、同時に安心感を得られるのでそのままではデメリットとメリット相殺されてしまうのです。

デメリットの方が大きいと実感できれば、気づいてからやめようと思うまでのサイクルが早くなるし、ついつい比較をしてしまう、ということ自体が減るのではないかと考えました。

 

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 その前提と結論は正しいか

 

自分の考えていたことを反証します

 

「この人は留学経験ないから、留学した自分の方が英語が上手いはずだ」

書き出すとおかしいことを考えていたのは一目瞭然なのですが、反省のために一つずつみていきましよう

 

  • この人は留学経験がない→ 事実です(本人が言ってた)
  • 私は留学した→ これも事実です。詳細は置いておいて

 

だから

自分の方が英語が上手いはずだ

 

という結論は無理がありましたね。飛躍しています

 

同じクラスにいるから同じくらいのスキルレベルなのでしょうが、このレベルに至るまでの過程で人それぞれ得意な部分、不得意な部分はあります。

 

それを丸っと一括りにして、上手いと表現してしまうこと自体も乱暴でした(この辺りはこんど劣等感の記事の時に掘り下げようと思います)

 

 

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 優越感のデメリット

 

「(人と比較して優越を抱く)デメリットの方が大きいと実感できれば」そのうちやらないようになるかしら、と考えまして色々巡らせてみました

 

このケースでは

メリット

自分は下手じゃない、できる方なんだと思えること

 

デメリット

そこで安心する+レッスンに集中できない

→目標を達成できない

→モチベーション維持が難しい+スクールに通う目的が達成できない

→レッスン代月いくらだっけ?結構払ってない?

 

本来そのレッスンで何をしたかったのか、聞き取る力か発音かそれとも文法の理解か。それぞれあると思いますが、優越感を抱くと心地よくてそちらを得ることに集中してしまいます。

 

結果、目に見えるスキルアップはできずモチベーションも下がり、スクールに通うキッカケとなった「こういう風になりたい」が達成できないまま何ヶ月もすぎることになります。

 

あとはレッスン代にもよりますが、目的を達成できないのに支払い続けること。「この金で旅行に行けるじゃん」と私の場合は思います。

 

もちろんただ話せればいい、とか優越感情自体を目的にしているのであればいいと思います。ただ目標がないと続かない気はします

 

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もう一つのデメリットがありました。

 

固定メンバーではないとはいえ、同じ日時のレッスンを取っているとみんな顔なじみになります。目的はそれぞれとはいえ、同じ英語学習に興味のある人たちと近づきたいという気持ちがありました。

 

優越感があると自然と相手に対する態度や言葉遣いにそれが出てしまうと思っています。そうすると親しくなりにくい。

悪い人じゃないんだけどなんか上から目線なんだよね」って思われる人になりそうです。

 

 

 

 比較する事をやめるべきなのか?

 

比較する事自体はいいのではないでしょうか。健全な比較もあります。

 

事実に基づいて部分的に比較している時

比較対象が自分でも他人でも

 

  • 他人との比較では自分の強みを意識できて、反対に足りないところがみえる
  • 自分との比較では過去からの成長を認識する事で達成感を得られる、未来に向けで必要なことがわかる

 

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 具体的にどうする?

長くなってきたのでまとめ。

 

  • 根拠のない比較だったら速攻でやめます。やめられない時にはデメリットを考えます
  • 健全な比較なら少し掘り下げます。

望む未来の自分につながっているかどうか、という視点です。できればヒト・モノ・カネの全てにおいて考えます。

つながっていそうなら行動を考え、つながっていないならそこで終わっていいと思います。

 

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比較することについては書きたいことがまだあります。健全な比較って具体的にこんなの、とか過去の自分との比較でも過程が重要とか。思うこと色々です

 

昔を振り返って反省をしてみたのですが、当時はこんな優越感と劣等感を繰り返しながら通っていました。このスクールに行ったことで何を得たんだっけ?というくらい当時のことが思い出せません。残念です

 

私は他人と比較をする=優劣を決める、で完結する経験ばかりしてきたので、「比較」を掘り下げるのはとても重要なAC脱却タスクです。

ACの多くがそうなんじゃないかと思っていますがどうでしょうね。