ほいほいそうこ

70年代生まれ、アダルトチルドレン。メンタルこどものまま中年になりました

つまらないと思われてない?そんな不安の話

こんばんは、まぬえらです。更新4日目です。

プロフィールに書いていますが、アダルトチルドレン(AC)の自覚があります。わざわざ書くことでもないのかもしれないけれど、どの方向に向けて記事を書いているのかはっきりしたいので書いています

 

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他人の考えを深読みしすぎる、しかも誤った方向に読んでしまうのはACあるあるかもしれません。

 

私は友人が少なくて友人と呼べるのはひとつまみくらいの人達です。ですが、広く浅く友人未満の知り合いはそれなりにいます。遊び限定友達といった感じ。そういう人と会うのは楽しいのですが、長時間だったりサシで会う、となると結構疲れます。気を遣いすぎてしまうからなのですが、そういう時の事。

 

 楽しいはずなのに楽しめていない

ライブとか呑みの場では良く会う人の一人と、二人で遊びに出かけることにで会うことになりました。

 

私が前から行きたかった場所なのですが、その人が何度か来た事があるらしく連休中にどうですか、ということで誘ってくれたのです。

来たことあるだけあって良く知っていて、色々二人で見て回る間知っている場所を案内してくれたり、名産を教えてくれたりしました。

 

もちろん楽しかったのですが、私は楽しみきれてはいませんでした。

緊張というか、他のことで脳内の多くが占められていて、見たもの聞いたものが表層を滑っていく感じでした。

行きたかったところに行って、食べたいものを食べ、見たいものを見ていたのに、です。おかしいですね

 

 

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 〇〇って思われてたらどうしよう

 

その時考えていたことはこんなことでした。

  • つまんないと思われてないかな。
  • 我慢してないかな、〇〇さんはほかに行きたいところあるんじゃないかな。
  • 私に気を使ってくれている、申し訳ない。

本当にこんなことを考えてしまうのですが、そう考えた理由をもう少し掘り下げてみます

 

つまらないと思われていないか

これは無条件にそう思ったわけではなく、会話が途切れる、盛り上がらないという状況から出した推測です。

 

相手は我慢してくれている、気を遣っている

この相手は自分よりもかなり年が下の人だったので、年長の自分に色々気遣って彼女が行きたい場所などがあっても我慢しているのではないかと考えました。相手が何を期待していたのかわからなかったということも理由です

 

申し訳ないと思う気持ち

相手が私に気遣ったり私の希望を優先してくれることに対して、罪の意識がありました。

 

 

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 実際それは現実的なのか

 

反証をしました。

 

最初のストーリーはこうです、

「私が年上の人間だから気を遣っていて、彼女自身の希望は後回しにし我慢をしている。そのうえ会話が弾まないし、つまらないと思っているに違いない。そしてそれは私のせいだから申し訳ない。」

 

まず、最後の「私のせいだから」明らかに根拠がない私の根本に染みついている価値観に近いので、あえて触れません。

 

気を遣っているというのはあるとは思います。

ただ、冷静になって考えてみると年齢差というのはこの人の場合は、これまでの自分や他の人とのやりとりを思い出してみると、ありそうになかったです。

それよりも、その場所を知らない人間に対してこの人は知っている、しかもこの人から誘っているということから、不都合とかやり残しとか大袈裟にいえば、悔いなどないかという視点で気を遣っていたのではとは思います

 

そして我慢をしているのか

これも可能性としては低いようです。彼女は食べたいもの、寄りたい店に対しては自己主張をしていました。

ただ1日の流れの中で、次に何したいどこに行きたいなどの自己開示はありませんでした。そのため私は「実は我慢しているのでは?」と思ったのですが、他のことでは主張しているのでただこだわりがなかっただけなのかもしれません。

 

会話が盛り上がらないとつまらないのか?

盛り上がっていれば楽しいというわけでもないし、そんなに話をずっとしなくても楽しい時間って存在しますよね

 

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 考え方は変えられます(経験談

 

ここまで反証してストーリーをこんな風に少し変えることができました。

 

「彼女はここを知っていて私は初めてだから色々気遣ってくれているようだ。行きたい場所を聞いてくれたい案内してくれてありがたい。こちらのことばかりで彼女自身が楽しめているか心配だったけど、いい買い物ができたみたいだし大丈夫そうかな。でも私のことばかりで、あまり会話も盛り上がらないし、せっかくさそってくれたのに申し訳ないな

 

つまらないのかも、と考えた根拠が希薄になったので少し楽になりましたが「申し訳ない」は残ったままです。

人が自分に対してやってくれたことに、罪悪感を感じてしまう。きっかけは過去の経験なのでしょうが、今でもそれを繰り返して辛くなってしまうのは、考え方と行動を変えていくしかありません

 

 

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 罪悪感を減らすためにどうしたか

 

気を遣ってもらった・誘ってもらった・と「何かしてもらう価値」が自分にないと思っています。(前に出てきた「私のせいだから」も似たようなものです)

しかし、その価値を上げよう自己評価を上げようといってすぐにどうにかなるものでもありません。幼少期から刷り込まれてきたものなので、簡単にはとれません。

 

 

 相手の立場だったら何を期待するか、を考えてみた

 

自分から誘って、自分のテリトリーで、相手にとってはawayの場所です。

純粋に相手に楽しんでもらいたいな、と思うと思います。実際誘ってもらった立場でも、(相手が)楽しめてるかな?と思うので誘った方は尚更ではないでしょうか。

 

 伝えること、相手にも聞いてみること

 

「今日は楽しかった、特に〇〇が良かった、誘ってくれてありがとう。色々案内してもらって私大満足だけどあなたはどうですか?」ということを言葉で伝える。

 

それで相手がどういう反応をするのかはわかりません。ですが、自分が何かをしてもらったことに対して言葉を返すことで、気持ち的に対等になれて罪悪感は減るはずです。

何かをしてもらう、何かをしてあげる。作家にファンレターを書く読者のようですね。

 

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この時私は幸い途中で気づくことができたので、途中で相手に伝えることができました。その日の後半は打ち解けて余計に気遣うこともなく楽しく過ごせました。

 

そして気づくことができたのは、ずっと喋りっぱなしとかではなく、会話もなく過ごす時間が度々あったので、考える時間があったからなのかもしれません。

そう考えると、会話が盛り上がらなくて逆に良かったとも言えます

 

これを繰り返して相手に何かを返せる自分に成長したら、自然と自己評価も上がっていくのではと思っています。

 

独り善がりの「この人はこう思っているはず」と事実を踏まえて想像する「この人はこう思っているかも」では自分の気持ちが全然違いますので、ACは客観的論理的な思考力をつけることが大事ですね。精進します