ほいほいそうこ

70年代生まれ、アダルトチルドレン。メンタルこどものまま中年になりました

羨望のうらにあった感情は自己否定でした

こんばんは、更新8日目です。まぬえらです。

 

今日は昼くらいから雨でした。

明るい空なら雨でもウェルカムですが、暗い空に雨は気分がおちます。そのため気が乗らず本日は短めの記事になりました。

 

雨でも東南アジアに行ったときに出会うスコールは結構好きかも、です。

 

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ところで私はアジアに限らず外国に居住することに漠然とした憧れがありました。そのくせどこで生活したいのだろう?と自問してもはっきりとした答えが出ない状態。

そんな時の話を振り返ってみます

 

 海外で働いている?羨ましいわ

 

そう思ったことありますか? 

私はなんどもありました。

 

周囲に下のような人達が多くいた時期がありました

  • 家族親族が世界に散らばっている人
  • 海外に赴任している人
  • 月に何回も海外出張に行く人
  • 他の国で就職した人

 

その人達と話す度に羨ましさを感じていました。

 

この「羨ましい」という感情が、

自分もああなりたい、あのように生きたい、と目標をみつけた時のような明るい感情ならよかったのですが、そのような羨ましさではありませんでした。

 

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たとえ明るくない感情でも、同じような環境を手に入れるために、具体的になにかしたかというと特になにもしていませんでした。

 

なぜアクションにつながらないのかと考えました。目的が定まっていないからです。目的は理由です、なんで海外で働きたいのか。

 

転職や引越、買い物や人間関係

なんでもそうですが、どんな判断にせよ自分なりの理由があります。

でもこのことに関しては自分の理由が見つからず、感情だけが湧いて出ている感じでした。

 

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 感情は”羨ましい”だけだったのか

もう少し自分の感情を思い出してみました

自己卑下・自己否定の感情もありました

その感情を作り出していたのは『それに比べて私なんて…』という思いでした。

 

 脳内お母さんはいないだろうか

自分を責める時には”脳内お母さん”が出てきている、と前の記事で書きました

自己否定の理由もそうです

 

細かいことは書きませんが、子供の頃から英語学習、外国人ウケのいい(と母が考えていた)部活を選択するように言われて育ち、将来は外国語をマスターし海外で働くのが良いことという風にも言われてきました。

それが当たり前になりすぎていて、そう言われていたことすら忘れていました。

 

しかもACの自覚を持ったのが社会人になってからです。

その価値観を子供の頃に刷り込まれ、実家にいた時は毎日アップデートし、家を出てからも母に会うたびに再インストールしていた感じです。

なので中々強固な海外で働くのが最良という基礎が出来上がっていました。(今でもちょっと残っています)

 

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今はそこに反した働き方をしていて、その道を歩めなかった自分は”良くない”と責めているのですから、その通り自己否定がありましたね

 

 解決策はあるのか

 

長年踏み固めてきた基礎なのですぐに解消は無理だと思いました。

が、解決策としては以下だと思っています

 

良くないと責めるのの反対をやることで相殺していく

 

つまり、『それでも良し、と肯定する

なんだかとてもふわっとしています。

ですが現状を認めることをしていかないと、いつまでたっても道を踏み外したと認識してしまいます。

 

具体的にやることは、

  • 自分で考えて
  • 自分なりの理由をもとに
  • 自分で判断していく
  • そしてそれを振り返る

だと思います。これの繰り返し。

 

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これを延々と繰り返していくと、刷り込まれた価値観と相殺されるときがくるのだと思うのですね。

うーん、先は長い。未だ道半ばです