ほいほいそうこ

70年代生まれ、アダルトチルドレン。メンタルこどものまま中年になりました

行きたいけど不安なとき

こんばんは、まぬえらです。更新21日目です。

 

f:id:manoella:20191020124035j:plain

 

私は自分の気持ちが沈んだり、嫌な気持ちを抱えていた時って思わず検索かけてしまう方です。そういう時に心理的背景とかこうしたらいいよというアドバイスをまとめてくれているサイトは沢山ありますが、その心理〜アドバイスにあるような行動するまでの過程がはっきりしなくて結果的にまた似たようなことでモヤモヤして検索する、というのを繰り返していました。

カウンセリングを受けるようになって自分で解決する力をつけてきましたが、もしどこかで自分と同じように繰り返し同じような気持ちを抱えている人の助けになればと思って始めたのがこのブログです。

 

ですが気がつけば日々書いている自分にしか通じない様な書き方になってしまっていたなということに気がつきまして反省しきりです。

特に、訪問者も殆どいないこともあって自己完結しがちなので、更新頻度やタイミングに囚われて雑な書き方になるより一つずつ丁寧に書く様にします。一応目標は隔日ですが、書きあげられなければ無理しない、ということです。

 

f:id:manoella:20190913200727j:plain

 

 うまくやる自信がない

興味のあるイベントに出かけたいけれど、一緒に行く人がいなくて結局行かなかった事がありました。

やらないことの後悔って結果がわからないから、やった後悔よりも大きく感じるのはよく言われることです。現にこれは何年も前のことですが、今でも覚えています。

 

ちなみに一緒に行く人がいなかったのは、自分と同じ趣味を持つ人が身近にいない、という事に加えて趣味の活動を始めてまだ日が浅い&人見知りのため趣味仲間がいなかったからです。

 

 一人でも行けばいいじゃん

と今の私なら状況によっては思いそうですが、その時にはこういうことを考えていました。

 

実際に行ったら顔見知りに会うかもしれないけど、顔を忘れられているかもしれないし、覚えていてくれたとしても仲間に入れないかもしれない

孤立してしまい楽しめないかもしれない

嫌な態度をとってくる人がいるかもしれない

 

いくら趣味のイベントとはいえ、周りが身内で固まっていて自分は一人だったら寂しく感じます。さらにこの時は、惨めになるかもという不安感情も持っていました

 

自分だけ一人ぼっちだったら〜ということも、上の様なことを考えて理由ですが

過去に似た様なイベントに一人で参加して、年配の男の人にぐちぐち説教されたという経験がありました(しかも複数回)

そういう経験も行きたいという気持ちの足かせになっていました。

 

f:id:manoella:20191020123708j:plain

 

理想的な状況は、一人で行っても周りの人と打ち解けて孤独感を感じることなくその場を楽しむ事ができるコトですが、どうしたらそういう状況を作れるでしょうか

 

 もしこんな自分だったら…

 

社会的に成功している、美しい人、自信がありそう、自由に生きていそう、人気者、何か特技がある

など。

こういう人だったら、いろんな人に話しかけられて一人でもアウェー感を抱く事無く過ごせるのではないか。そこから仲の良い人ができて充実した人生を送れるのではないかと考えました。

 

確かに状況によってはこの考えがはまることもあると思います。

ただこの時の状況で本当にそうなのか、というと疑問です。見た目の印象や肩書きで趣味のイベントを充実して過ごせるかなという話。確かに人は寄ってくるかもしれませんが、目的がイベントを楽しもうやこの先も仲良くやっていこうではないですね、きっと。

成功者だと認識されたら、美しいと思われたら、自信がありそうに見えたら

自分がそういう人に「そういう風に見えるから」という理由で近づくとしたら違う目的を持って接すると思います。

 

話しかけられやすいことは充実した人間関係を作れることとはイコールではありません。その場を不安を抱くことなく楽しみたい、さらにその先には次の機会でも楽しみたいし他の人と交流を深めていきたいというのが願いでしたので。

 

 やらないという選択をする自分を認める

そう考えると、行かないという選択肢もありだったと思ってきました。

 参加して、自分から人に声をかけ交流をし次に繋げるということも、話かけられる事が必須ではないと考え一人ではどう楽しむ事ができるかと考えてすごすということ。

もしくは

自分の考え方からして今回一人で参加するのはハードルが高い。根菜は参加しないで、イベントごとではなく、普段の趣味活動から少しずつ人と仲良くなり次の時に参加しよう、でもいいわけです。

やらない後悔だったのが、やるための手段に変わります。

 

f:id:manoella:20191020123347j:plain

 

最後に、実は自分が肩書きや外見というものを非常に気にしていて、みんなからみてすぐに先に書いたような社会的地位が分からないとダメな存在だ、という世界観があります。

これを修正するのには時間がかかりますが、気がつかないことにはその一歩を踏み出しようがないので、まずは気がつくところからです。