こんにちは、まぬえらです。更新18回目、ブログ開設から1ヶ月半くらい経ちました。
ここにきて投稿するモチベーションが下り気味で、これくらいが私にとって継続のための最初の山場みたいです。
そういえば転職した時も、入社して1ヶ月〜2ヶ月目に入るまでが一番精神的にキテた時期でした。
うん、のんびりやっていこう。
いま台風到来に怯えながら記事を書いています。
昨日は友達と夜に会う約束をしていたのですが、この台風絡みで相手に急な仕事が入りドタキャンになってしまいました。
その際LINEで連絡もらったのですが、返信する時に気づいた自分の癖がありました。
それはビジネスメールのテンプレートです
「大丈夫だよ」「いいよ、気にしないで」「残念だけど、また今度にしよう」
まず相手を気遣うメッセージを最初に返そうとしていました。
これに気づいた時には、ビジネスメールかよ!と自分に言いたくなった。
これの何が悪いのか、というと別に悪くないのですが下のことが気になったのです。
- 自分の感情を無視してるな
- 相手からしたら寂しさを感じるのでは?
私自身、そのキャンセル&お詫びメッセージを見た時には「えーっマジか。ショック、がっかり」という気持ちになりましたし、
その人のメッセージでも仕事でキャンセルになったことに対して「もう今日は泣く。すごく楽しみにしてたのに」というような事が書いてありました。
そのあたりの両者の感情を受け止めずに「残念ですが〜」みたいな定型の言葉で流してしまうところでした。この辺りは本当に無意識でやっていたことで、ちょっと自分に驚きました。
相手はどう思っていたのかな
さらにこの友人のメッセージもちゃんと読んでいなかったのですよ。
「キャンセル」という言葉を見た時、瞬間的に「大丈夫だよ、いいよ気にしないで、残念ですがまた今度にしよう」が浮かんできた。
これがもし反対で、私がドタキャンする立場だったら罪悪感を持ちそうです。どんな理由であっても。
そんな時に相手のがっかりしたとかそういう感情を目の当たりにすると、自分を責められているように感じるだろうと想像できます。
そういう風に思うから、相手に対しても「自分は責めるつもりはないぞー」ということを強調して伝えたくて先に書いたようなことを考えてしまうのかも、と思います。
想像ではなく妄想にとらわれる
さて、今回友人はそれを求めていたのかどうか。
それを真面目に考えていたところ、私らしい面白い思考が流れてきました。
この人の都合(仕事とはいえ)でのキャンセルなので申し訳無い気持ちもあると思います。実際ごめんね連呼でしたし。
ただそれでも自分の感想、感情を表現してくれています。
だから両方の気持ちがあるのだろうというのが素直な考え方。
でもここで私が考えてしまったのは、
キャンセルになったことを責められたく無いから、謝るだけでなく、自分も残念でショックだ(自分のせいじゃ無いのに)と言っているのではないだろうか?でした。
捻くれていて何をいっているのかわからないかもしれませんが、相手は自己保身でこう書いたのではと考えたのです。
すぐに『無いな』と思いましたけど、自分にはこういう発想があるのだということが驚き。(今まで気づいていなかったことにも驚き)
これは自分にはどうにもならないことをバカにされたり責められて育った人ならではの発想ではないかと思います。
この思考を完全否定する必要はないですが、まぁまぁありえないのでこの思考にとらわれないようにすることが必要です。
勘よりも状況証拠をつかむ
どうしたらよいのでしょうね
この投稿で少し書きました。
- 出来事をみるときには俯瞰してみる
- 判断するときには部分的にする
これしかないです。
カウンセラーさんからも度々言われていることですが、俯瞰してみるとは客観的に見てみることです。
今回の場合は私と友人ではなく、AさんとBさんやキャラクターに置き換えて考えるとか。
自分が入ると他の思考も流れ込んでくるので、どうしても客観的に見るのが難しくなってしまいます。そのうち「きっとこうに違いない」と固執して同じ考えがぐるぐる頭をめぐるようになってしまいます。
例えば、
「もしかして私に会いたくなくてキャンセルしたんじゃないか」とか「面倒になったんじゃないか」とか。
まずは客観的にみて状況証拠から一旦の結論をだしてみる。
これを先にやって、そのあと上に書いたような他の思考について分析して解消してみるのがいいのではないかな。
この分析について、考え方の系統としてはこの投稿が同じかなと思います。
他人との境界を引くことが上手くないのはACではありがちなことです。今回、自分なら責められると感じるからといって相手もそうだとは限らない、そう気づいたことは大きな進歩だと思います。
ウチは子供が感情を出すと責められていると親自身が思ってしまう家庭だったのでしょうね。いまその状況を想像するとそんな気がする。
それで自分の感情を表現してはいけないという無言の禁止令が家庭に敷かれていたのかもしれません。
感情は表現してこそと私は思います。お互いのことを理解しあえるエレメントです。
どう表現するかということと、どうフォローするか(必要であれば)はコミュニケーションスキルなのではないかな。