ほいほいそうこ

70年代生まれ、アダルトチルドレン。メンタルこどものまま中年になりました

羨ましい,の感情の続き

こんばんは、まぬえらです。更新9日目になります。

今気づいたんですが、一日置きに更新と言っていたのに前回は1日飛ばしていました。日が経つのは早いな。

 

前回、ネガティブな羨ましい気持ちについて書きました。あまり書ききれなかったので同じような内容ですが、今日も羨望を感じた時のことを書いてみたいと思います。

 

 私もああいう風になりたい

仕事での話です。

同僚を羨ましい気持ちでみたことがありました。それと同時に湧き上がる自己否定の感情。

 

小さい企業で管理職をやっていた時のことです。

あるプロジェクトの単月の利益がありえない数字になっていたことがありました。異常高い状態で計上ミスの様にも見えるしそうでもない様に見えたのですが、本当にミスなのか、いつどういうミスがあったのか、それが分析できない状態でした。

 

これについてトップマネジメントから私を含めた他の管理職に、原因を明確にするように指示があったんです。 

それで、このプロジェクトを受け持つマネージャーがこのプロジェクトの収支に関わる人をミーティングに招集しました。詳細がわかる人一堂に集めて一気に解決しようと思ったそうです。
結果としてこのミーティング中に理由が判明して報告ができました。

 

 

 

トップからの指示がきた時、私はある程度自分で調べて他の人に確認してみようかなと考えていました。

職務上ほかの管理職よりもデータにアクセスできる権限が優位だったので、それが妥当かなと思ったからなんですが。

 

 

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ですが、このマネージャーがミーティングをした時に、以下の様な事を考えていました。

  • なんでこんな風に人を巻き込めるんだろう。
  • ああなりたい。それに比べてわたしは。。。
  • すごいなあ

 

 そして、その時に持っていた感情

  • 羨ましい、羨望
  • 自己卑下

 

この感情はどこからきたのか

 

人に頼ったりチームを形成することが苦手なので、こうやってみんなを一堂に集めて物事を進めていく姿に憧れるのはわかります。

 

 自己卑下の感情はどうでしょうか。

 

私は自分を責めるような思考がある時には、脳内お母さんの活動中だと判断しています。

今回も脳内お母さんが活動しているのは明らかですが、どういう考え方があるのかは明確ではないので、もう少し具体的にみていきます。

 

自責をしていると考えられるのはここです

それに比べてわたしは。。。

この続きは何だろうかと考えてみました。

 

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それに比べて私は、人を巻き込んで物事の解決をするのが苦手。みんなをリードしていくことができない。

これです。

 

  • いろんな人に声をかけてみんなで協力して物事を解決する
  • それを実行できるような人間像

これが母の理想だったのだと思います。

 

うん、小学校の頃もクラスでミニバスをやっていたような(いまでいう)上位カーストの子とよく比べられました。 

 

ただ先に書いたように私はこういうことが苦手なんですよね。だからやらない。

苦手じゃなかったらこの思考に振り回されてやっていたと思うんです。

 

 なぜ苦手だと思うのか

 

苦手意識の下には、このような考えがありました。

 

  • こんなことは自分で調べなきゃ、なぜならわざわざみんなの時間を取るわけには行かない。
  • きっと迷惑だろう。

この考え方も今までの経験で得たものです。

 

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 本当にそうなのか。

反証します

 

こんなことは自分で調べなきゃ、なぜならわざわざみんなの時間を取るわけには行かない。きっと迷惑だろう。

 

確かにこういう事を言われて生きてきました。

でも、今回の状況ではどうなのか。

こういう風に考えることは気遣いであるとも言えます。

 

仕事でアサインされている業務以外にやることがあるから時間を貸してくれ、というのは確かに迷惑と思う人はいますよね(管理職なら別だと思いますが)

私自身も何でもかんでも社内会議に招集されていた時期があり、一言もいうことがなかったという経験を持つので、ミーティングを迷惑だと思う気持ちが容易に想像できます。

私の考えは正解不正解の白黒つけられる事ではありません

 

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 自分にとっての最良はなにかを考える

 

私は人の時間をもらうわけには行かないから自分で解決すべき、と思っていましたが、人に協力をもとめる同僚を見て羨ましいとも感じました。

 

私がこの同僚のような行動をとったらとったで後から「みんな迷惑じゃなかったかな」「いやだと思われていたらどうしよう」とか考えそうです。

その考えをその都度解消するのも大切ですが、できればどちらか一方のやり方を採用するのではなく、両方ができたらいいなと思います。

 

 なにをしましょうか

 

普段何気なくやっていることですが、一言添えて依頼する。最低限これをやる

 

なにも言わずに当たり前のようにミーティング招集をしたら、中には不満を感じる人もいると思います。

私が恐れているのはこれですので、先周りをしておく。

みんなの貴重な時間をもらっているという事を自覚しているよ、という意思表示。

それでも不満に思う人はいるかもしれませんが、事前のケアをすることで不満を減らせるかもしれないし、自分ではできるだけのことはしたという履歴が残るので後からの後悔も少ないと考えます。

 

あとは集めたからにはそのミーティング内でなにがしかの結論に達するようにはしたほうがいいと思っています。

ただ集まってだらだら喋って、なにも分からなかったでは達成感がありません。中には喋りたいだけの人もいると思いますが、当然その反対の考えを持つ人もいます。

参加者の好みではなくミーティングの目的に沿った形ですすめられるように作るのが大切。

 

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でもきっと、こう考えて書いてもすぐに満足がいくような行動はできないし結果も導けないと思うんです。

 

それはいままで積み重ねてきたものがあるからです。

これまでの人生で「自分で考えなさい」「人に迷惑をかけるな」をベースに生きてきて、それで大きな攻撃を受けずに生き延びてちゃんと生活できてしまっているので、そのやり方を急には手放せないと思うんです。

 

なので10回に1回くらい実行できたらいい。それか部分的に実行できたらいい。

だんだん頻度をあげて範囲を広げていく、くらいのつもりでやればそのうち身につくのではないかなと思います。

 

もちろんドラスティックに変えるのもアリだとはおもいます。

例えば自分がそこまで苦手意識がないこととか、1回で大きな成功体験を得られそうなこととか。

 

結局「こうしたら正解」というのはなくて、

セオリーはあれどどう取り入れていくかというのは、人によってまちまちなのでしょう。