ほいほいそうこ

70年代生まれ、アダルトチルドレン。メンタルこどものまま中年になりました

【振り返り】気分と日照時間 【2020年】

こんばんは、まぬえらです。

1500〜2000時間/年だそうです。世界平均が2500時間なので短いよね。500時間少ない。1日1.3時間少ない。
わたしのメンタルを左右するものそれは気候です。お天気。気圧はそうでもないけれど(少なくとも自覚はあまりない)気温と日照、これ大事だと自分では思っています。
コロナ禍のの2020年、外出に制限があったりと想定外のストレスがあったものの、お天気どうだったっけ?と振り返れば毎日曇り梅雨地獄な7月が思い出されるのです。

あと100日1日5時間日の出る日があれば!旅行とか外食に行けなくても、散歩して公園でぼけっとするだけで良かったのに。私自身はGO TOのキャンペーン中も控えていたので基本仕事以外引きこもりでした。(下手すりゃ孤独死になるので)。とにかく遊びが減って発散することが少なかったせいか、内向き傾向になっていて、良くも悪くも自分を観察する時間が増えました。日々わたしのメンタルを底に突き落としていたのはクソ長い梅雨と、年明けてからの寒さ&朝の暗さと春が近づくにつれて減っていく晴れの日=増える曇りでした。
雨でもく曇りでも、まだあた暖かくければそんなに落ちないのですが、寒さと関東平野の強風は堪える。
敵は7月だけじゃない、他の月はアレあれ、もどうだったんだろうと思いまして気象庁公開のデータを見てみました。

気象庁のデータはこちら。初めて見たけど結構面白い。だが見方がなかなかわからない。

https://www.jma.go.jp/jma/menu/menureport.html

2020年のグラフを持ってきました。敵は7月だけじゃないと書いておいてなんですが、7月はやっぱりやばかった。
早けりゃ4:30くらいから日が昇り19:00頃まで明るい月に日照率11。可照時間を15時間として、月平均したら1日のうち日が出てるのが2時間もないんでしょ?そういうことだと理解した。
正直自分の理解に自信はないので、細かい考え方は間違ってるかもしれない。でもとにかく太陽が足りないのはわかった。それにしても日照率が高い月ってあまりないのですね。夏とかほんとやるせないわ

5、6、7月の梅雨で低空飛行して、ようやく8月で太陽さんさん(暑すぎるけど)でハッピーかと思いきや9、10月の台風?でまた低空飛行。11月から晴れの日が増えてくるけど、こんどは気温がどんどん下がって北風ビュービューで可照時間が減ってきてまたもや低空飛行という1年か。
気候的に私がハッピーなのは8月と11月くらいだったんだな。思い返せば4月も元気だったかもしれないです。

こうやって周りの環境データで振り返るのも面白い。もう自分が精神的に元気なのは1年のうち3ヶ月くらいだと思っておけば、朝起きてどんより曇り空でもこれが普通だと諦めもつくというもの。でもやっぱり暖かくて日が出てるのがいいなーなんで思ってしまいます

※ 日照時間と日照率:太陽の中心が東の水平線に現れてから西の水平線に沈むまでの時間を可照時間と呼び,可照 時間に対する日照時間の比率が日照率日照率(%)=日照時間÷可照時間 ×100,

【親の言葉】子供が恥ずかしい【受け止め方】

今日は、まぬえらです。
子供のころ、母親から「恥ずかしかったわよ」となぜか怒られたことが何度かあります。

ピアノ発表会でうまく弾けなかったり、運動会で走るのが遅かったりしたときです、覚えているのは。他にも体型のこととかで言われてたな。
でも例に挙げた前の2つは結構ショックだったのでよく覚えています。

なんでショックだったのか


そりゃ自分自身緊張と不安でいっぱいだったのに、苦手な運動で本当に走るのなんて嫌だったのにそれでも必死こいてはしったのに、「恥ずかしい」って言われたんだから傷つくわ案件です。

でもなんで「恥ずかしい」って言われたことがショックだったのかな、とふと思ったり。もしかしたら「がんばったね」とか労いや褒め言葉が欲しかったのにそれがもらえなかったからかなとか、自分の不安や、嫌だというネガティブな感情を受け止めてもらえなかったことの方が実はショックだったのかも、とかも考えてみました。どうもそういう期待していたことがなかったことに加えて「恥ずかしい」と言われたことで大きめのショックになってるみたいなんですよね。

太っていて恥ずかしいというようなことを言われたときには、どうせそういう事言われるだろうなと、ある程度想定していたのでそんなに記憶に残るほどのことになっていないと思うんです。
でもサウナスーツをこっそり買ったのが母親に見つかって、そのときに太っていて恥ずかしいと思わないのかと言われたときにはすごく傷つきました。だから買ったんだよって、自分の選択を全否定されたことに傷付いたんだろうと思います。

うちの母のこの「恥ずかしい」発言ですが、自分が第3者的目線でも「ひでぇこと言うなぁ」って、よくこんなことを口に出せたなって不思議です。しかもちっこいガキに向かってそういうこと言う? なんでこんなこと言ったんだろうと考えてみたんです。


他人の言動で自分が恥ずかしい気持ちになるのは、自分も経験があるので分からなくもない。酒癖の悪い友達が酔って道端で知らないめっちゃ話しかけていて相手が迷惑そうな時とか、恥ずかしい、体裁が悪い、色々いたたまれなくなります。でもこういう時って大抵はその人がマナー違反や常識を欠くことをした時ですよね。

さらにこういうケースでは一緒にいることで、自分がそういうことを善しとしている、と世間から思われたくないっておもうから恥ずかしいと感じるんだと思う。だから相手に「はずかしい」というとしても、その場で言うんですよね、一蓮托生だから被害を最小に抑えたいと言う防衛反応みたいなものなんです。

でもさ、うちの母親がやったみたいに、本人が誰にも迷惑をかけず挑戦したことについて、自分の期待と違ったからって、あとから過去形で(アンタの言動が)恥ずかしかったって言うことになんの意味があるのか。相手を傷つける目的しかねーだろ、と思うわけです。自分はなんにもしないのに、人のジャッジだけしてしかも口に出すとかひどすぎる。それでもそれをやってのけたのには何か理由が、無意識にでもあるはずです。

なんで「はずかしかった」なんていいだした?

なにを恥ずかしいと思うかは個人の価値観によるところも大きいです。
でもそれを相手に言うのはただのメーワク行為、要は価値観の押し付けですね。「こうあらねばならない」と「こうなってほしい」と「(彼女自身が)こうなりたかった」っていうのの押し付け。

彼女自身が周囲から承認を得るために、自分の遺伝情報を引継ぎ自分が育てた自分の子がこれら全て会得している必要があるとでも思っていたんでしょうか。反対に期待通りにならなかったら周りから彼女が嘲笑されると感じていたんでしょうか。(中にはそういうことする奴もいるでしょうが)

それで子供にそう伝えてしまうしかも感情をたっぷり込めて。これは甘え、自分の子だから言っても許されると思ってるんです。または被害者面、この子のせいで自分が不安になるんだ(ここまでの自覚はない)。
子供も一応他人なんですけどそうは思っていなかったんだろうと思います。

いろいろ彼女の立場や考え方を想像してみても、私の気持ちは楽になんないんですよね。承認欲求をガキに押し付けるなとしか感想がありません。むしろこっちの被害者意識が高まってしまって余計に嫌な気持ちになります。

自分の分析

被害者意識が高まってしまうのは多分、自分自身でも「(親は/大人は)こうあらねばならない」「こうあって欲しかった」という思い込みや理想みたいなのがあって、頭の中で自分の親にそれを押し付けてるからでもあります。

こんなことは親じゃなくて他の人に言われてもムカつくし、引きずるだろうとおもいます。本当に失礼なこと言ってますし。でも相手が親じゃなければ例えば職場の人なら「こいつクソだな、ムカつく。○ネ」って思って近づかない、関わらない、表向きの会話だけで済ませるで終わる気がします。
だから母親もそれでいいんだよ、と自分にしつこくいいたい。母親っていうjob titleの人だから。過去にすごく失礼なこと言ってきた、私のこと何にも知らない勤続年数が長いだけの人だから。適当に返事だけすればいいよ、丁寧に説明してあげると調子こいて境界線踏み越えて口出してくるんで。

こんな脳内対応でいいんだと思います。

【旅行に行きたい】都内ホテルステイをする【予算50,000円】


こんにちは、まぬえらです
海外旅行のためにコツコツと貯金をしていましたが、この情勢で1年以上延期になり、この先もいつ行けるかわかりません、とは言ってもたまには非日常を味わいたい。
加えて友人と食事に出ることも自粛中でいくらインドアな自分でも、もやもやとか出しきれないエネルギーを持て余している感じです。

そこで
当面旅行は無理なので1旅行貯金を切り崩し、1人ホテルステイin 東京をしようとおもいます。前から欲しかったものを買うというのも考えたのですが、物を増やしたくないわたしとしては購入を決定するのはなかなかハードルが高いのでホテル滞在に金をつかいます。

じつは滞在かスパか迷っているところではあるんですが、とりあえずお泊まり(うまくいけば+スパ)プランで調べています。

わたしが滞在先に求める条件はこちら

  • 平日に滞在
  • とにかく部屋から景色を見たい。第1希望は緑が見える、第2希望は街並が見える
  • 朝食つき
  • ビジホ以外

できればあって欲しい条件

  • 駅から近い
  • 最寄駅周辺が自分が好きなエリア
  • チェックアウト遅い方がいい

それではいつも使ってる一休(https://www.ikyu.com)で探していきましょう。今回もお世話になりまーす

検索条件を入れていきいます
滞在日はまだ決めてないけど今月はでかい出費があるので来月半ばくらいで
地域は、とりあえず都内で個人的に居心地いいエリア+ちょっと枠を広げて

  • 六本木
  • 東京
  • 銀座
  • お台場

あたりにしてみました。さらに朝食つきにチェックを入れて、検索

174件出ました。こんなにあるんだ、ホテルin東京。
口コミとかも気になるけどまずは候補を出したいので、料金が高い順に並び替え

一休の検索結果

一番上はアマン東京。んーま、納得だけどね。友達が結婚前にシリコンバレーの彼氏と泊まってたな、なんてことを思い出した

2番目がリッツ・カールトンで、次がメズム東京なのか。宿泊プランによるんだろうけどメズムの方がお高そうだなと思っていたのでちょっと意外。部屋の広さが微妙にリッツカールトンの方が広いので、客室の違いかもしれないですね

さらにほかの必須条件を入れてみます。

とりあえず、部屋タイプ〜食事までは特に変更なしでOK,
予算、どんなところがあるのか予算超えでもみてみたい興味はあるので、今は入れないでおこう
部屋のこだわり…景色重視なんだけどそんな項目あるのかな。すべてを表示してみます

マジか。すごいいっぱいある。だけどほとんど今回はどうでもいいな。フィットネスとかスパとか。第一これは部屋のこだわりなんだろうか。あらあめてみると変な選択肢。
最重要要件の景色がいい、みたいなのが見当たらないので「夜景が自慢」にしてみましょうか「高層階」も気になるけどまあいいや。

一休の条件選択画面

これで一気に35件に減りました。なんか夜景は自慢じゃないけどそこそこ眺望のいい部屋とか見落としてる気がしないでもない。

続いて、宿のこだわりとプランこだわりだけど、これは必須じゃないから選択なしでいいかな。35件とはいえ一つづつ全てみていくのは気が遠くなりますね。途中で空きそうなので、やっぱり予算入れるかな

予算5万上限にしたところで25件に減りました
意外にもパレスホテルとアンダーズ東京が残っていて、5万出せばここに泊まれるのか〜と思いを馳せましたよ。

ここからさらに候補を絞ります
客室の広さとか眺望に加えて料金で振り分けていく感じかな
あとは単純に泊まってみたいところですかね。オープンして間もなかったりリニューアルしたところはとっても泊まってみたい。そんなことを条件として考えつつ、現在までの候補

  1. パレスホテル
  2. キャピトルホテル東京
  3. グランドニッコー台場
  4. ANAインターコンチネンタル
  5. アンダーズ

新しいところに泊まりたいきもちもあるのですが、グランドニッコーとANAインターコンチネンタルは好きな場所ということもあり、この2つは一応外さずにいれています
それにしてもラグジュアリーホテルに絞ったら意外と候補が少なかったな。
コレを予算を千円でもあげればマンダリンやペニンシュラも入ってくる
うーん、海外でしか泊まった事ないけど、とはいえ好きなホテル。でも今回はとりあえず予算厳守で!

では、改めてこの5件でどんなプラン・客室なのかみてみましょう

まずはパレスホテル
創業1961年、そして2012年に今のホテルでグランドオープンな憧れのホテル
該当するプランは一択。タイムセールだけど、グランドデラックスツイン55平米チェックアウトは12:00まで
もうここで良くない?と思ういいプラン。5万も払うんだから当たり前か

ちなみにここにはパレススイートという「料金お問い合わせください」な部屋があるようでたまげた。別世界だ。

キャピトル東急。永田町界隈のロクなイメージがない(ホテルはいいと思うんだけど客が)。が気にはなるので一応見てみっか
客室は2つで、デラックスキング44.8平米とデラックスハリウッドツイン(広さ同じ)。プランは、
”プレママステイプラン”のみ!Oh 私は対象外・・・
なお、5万以上(最低5.7万円)だすと他のプランで泊まれます。やっぱり永田町人御用達は高いねー、永田町価格かな。

続いてグランドニッコー台場
ここの開業は1900年代なんだよね。水辺なので好きだけど結婚式ばかりやってるイメージある。あとファミリー多そう。
こちらもプランはひとつで、25-28階のスーペリアシングルユース30−33平米です。
スーペリアと聞くだけでグレードダウン、微妙だと感じてしまう。(実際そうなんだろうけど)やっぱりグランドとかデラックスとかいう言葉がついているとラグジュアリー感が増しますわ

ANAインターコンチネンタル
ここは3タイプも部屋がありました。

  • 28階以上プレミアムダブル
  • クラブコンチネンタルルームダブル
  • クラブコンチネンタルルームツイン

せいぜい32平米ですがその分安いので良さげに見える。前の二つよりも1万安いですし。ちなみにチェックアウトは11時。
クラブコンチネンタルルームならクラブインターコンチネンタルラウンジ35階を使える。朝ごはんもそこで取れる、いいな。
ただダブル、ツインのどちらもバスタブはない部屋みたいですよ、残念。

全日空ホテルの頃から数えると結構古いんでどうしようかな。新しい建物に泊まりたい、と思ってANAと台場をはずしたらパレスホテルだけになっちゃった。

パレスホテルがいいかなーと思いつつ、予算上限ギリギリすぎてびびるのでアンダースもみてみましょう
(実は最初に検索したときに、ちらっとコンラッドが見えた気がしたんだけど、しばらく放置して検索を更新したらコンラッド消えてました。

2014年開業のアンダーズ東京
虎ノ門はどこへでもいけるし虎ノ門ヒルズもあるし、とは思うんだけどどうにもビジネス街イメージが強くて、行きたいという気持ちは実はやや低め。
ANAのある溜池界隈もビジネス色強いんだけど、そっちは六本木・赤坂が近いし住宅も多いからかなんとなく安心するエリアなんですよね。でも単に自分が虎ノ門エリアをよく知らないだけのような気もするのでまずはみよう。

お部屋タイプはキングかツイン、50平米です。広いな
タイムセールだからのようですが、それにしてもこのプランお得すぎる

宿泊者専用のアンダーズラウンジやプールやサウナも利用できる。47-50階なのでめちゃくちゃ眺望がいい!

あのパレスホテルについに泊まっちゃうのかーしかも1人で!と思っていましたが、アンダーズが思っていた以上に魅力的でした。

緑が見えるパレスホテル。丸の内まではちょっと歩くけど落ち着くいい場所だよね。
クソビジネス街虎ノ門アンダーズ東京。パレスとは違った50階からの眺めだよ。
眺望の第一希望は『緑』だったのに、アンダーズの部屋も捨てがたく、現時点で結局決められていないです。

でも今回検索して思ったのはタイムセールいいね。そりゃいいに決まってるんだけど、いままでそこそこお手頃なところしか予約したことがなかったので、そこまで料金へのこだわりがなかったんです。ちょっと予算出ても取り戻せるしって感じで。
でも1泊5万て普段使わねーよっていうホテルだとこのタイムセールの有無でフィルターしちゃうからね。
コンラッドがいつの間にか消えていたのもそれかもしれない。反対にタイムセールで他のホテルのプランも出てくるかもしれないからちょくちょくみておこう。

まだ旅には出られないし、ホテルステイもそんなにバンバンできるわけじゃないけど、検索するだけでも非日常を垣間見ることができて気は晴れてきたような気がします。

今回はラグジュアリーホテルに限っていたのですが、そこに拘らず、下位グレードやビジネスホテルで良い部屋に泊まるというのもありかと思いました。ラグジュアリーホテルの半額でほぼ同じくらいの広さ、良い眺望のお部屋ですし、新しいホテルもおおい。他のホテルの施設(レストランとかばーとか)や全体的な雰囲気が気にならなければ総合的にそっちの方がいいかもーとおもいました

なんだかもう満たされました

人に相談するのが苦手 その3

こんばんはまぬえらです。
相談回避をする癖をやめたい。

相談することを回避する。毎度それを繰り返す目的が何か。

  • 他の手段を取ると損だと思っているから損をしないために
  • 他の方法では失敗すると思っていて失敗はしたくないから
  • これが唯一の方法だと思っている

前回でここまできた
これを自分のケースの当てはめてみる

  • 回避以外の手段では損をすると思っているから損をしないために
  • 回避以外の方法では失敗すると思っていて失敗はしたくないから
  • 相談を回避することが唯一の方法だと思っている

そして、この段階で曖昧になっていることを明確にしようと思った

  1. 回避すること以外の他の方法・手段とは具体的にどんなことをイメージしているのか
  2. その手段を取った時に考えられる「損」とはなにか
  3. 同様に「失敗」とは何か

回避以外の方法・手段とは

自分の場合はいままでのカウンセリングでやってきたアプローチで考える。
まずきっかけとなっている思い込み、
人に聞くなんて迷惑だし依存だ・自分自身が相談したりすぐ人に聞くなんてダメなやつだ

そういう思い込みがあるから他人からもそう思われると考える癖がついている。だから回避以外の手段としては、この思い込みを無くすということになるのだろうか。

けどこの方法だと思い込みへの反証が必要になる。具体的には相手への共感や客観視。例えば、相談されたり質問されたりするのはイヤなことばかりではない。頼られているなと嬉しく思うことだってある。だから相談することがダメだとは言えない。って感じ。

ただこれをやったところですぐに思い込みは解けたりしない。何度も繰り返し反証をして、自分の頭の中にいるもう1人の自分に別の可能性を「そうかも」て思わせていくことが必要になる。

これだと結局今までと何も変わらない。「そうかも」って思うようになる前に「やっぱりね」って思うような出来事にあったりして解決に向かって進んできる気がしない。
そういう場面になってしまったときには、こうして相手の状況を想像すること自体もやりたくない。なんでこんな人をイヤな気持ちにさせるような言い方をして憚らないやつに共感してやんなきゃならないんだと、そう思ってしまう。これが周囲への敵意を生み出して、相談したらバカにされるかも(そう言う人かも)という思考を生み出す。そして繰り返す。

この反証をして思い込みをなくすっていうやり方は、自分的には効果は薄いと思っている。

一応アドラー心理学の考え方を噛み砕いて教えてくれる本にも頼ってみた。
「困った時のアドラー心理学
正直あまり今の問題に関しては頼りにならなかった。

テーマの中で、吃音を笑われている気がする、と言うのがあり、その解決に至る過程で提案されていた考え方。ほんの一部ですが抜粋すると、

『待てないでひどい言葉を投げかける人があったとしても、皆がそんな態度をとることはありえません。ですから、むしろこれまで好意的に接してくれた人のことを思い出してください。』

でもね、これは今までやってきたこと。
あとはこんなことも書いてあった。

『もしもまわりの人が吃音について正しく理解していないというのであれば、理解してもらう努力をすればいいのです。』

これはわたしのテーマで言えば、相談の仕方を工夫する努力が必要ということだろうな。
でもこれもね、「説明がうまくてわかりやすい」「人をイヤな気持ちにさせないで想いを伝えられている」周りからそう評価されるくらいのコミュニケーションスキルを身につけてきているんですよ、わたし。もちろん相談の仕方も依存的に聞こえないようにとか、聞くタイミングを測ったりの努力をしている。それでもあからさまに否定的な態度の人はいる。
仕事というプレッシャーやストレスの中でのことなので、相手の余裕がなくそう言う態度になってしまうのかもしれませんが。


アドラー心理学の考え方で言っているのは、そんな人ばかりじゃないから勇気出せってことなんだろうと思う。
けれど、「やっぱりね」を何度も経験すると、もしそうだった場合の心のセーフティネットや“そんな人"じゃないかどうかを見定めるコツというかスキルが必要だ。

そんな勇気が出せない人はどうしたらいいんだろうか。人と関わる勇気、その関係の中で傷つく勇気を持てない人はどうしたらいいんだろう。

ほかに回避以外の方法はないのか。

いったん今までのカウンセリングからもアドラーからも離れてみた。まえに職場のヒステリー同僚に困っていたときに読んだ本を引っ張り出してみる。
「すぐに怒鳴る人、すぐに怒る人に怯えない技術」
あまり期待しないで開いたんだけど、ちょっと気になったところがあった。
人の不機嫌を自分のせいかもと思ってしまう人向けの章のなかで、

『失敗をしても間違っても、「それを受け入れてくれる自分がいる」という安心感を持つことで、なりふり構わず他人に頼ることがなくなります。』とある。

まぁ、ですよねーという感想だけど、いつも忘れてしまうこういうこと
自分を受け入れてくれる自分でいるためには、ついつい自己を否定してしまうのをやめるようにすること、だって。

これも結局は「ダメだ」っていう思い込みを解くという方向性なんだけど、共感とか客観視とかは飛び越えてただ自分を認める系の方法だ。むかし変なスピ系のセミナーとかで言われた、自分の良いところを毎日書く、みたいなのに近い。
この回避癖に関しては、共感よりは向いている気がする。反証をしたところで「やっぱり相談するんじゃなかった」と思うような目にあったとしても、イヤイヤ相手に共感しなくていい。必要以上に傷付かずに次に行ける。

要は図太くなるってことかなー。自分に自信があるというのは最強だな。
本当はきっと物事を俯瞰的にみて、相手の立場なんかも想像してという手順を踏んで自信をつけていくものなんだろう。そっちの方が健全な気がする。

それでもこと「相談を回避する」ことに関しては、嫌な顔されても冷たくあしらわれてもまぁまぁ平気と思える自信を一足飛びでつけたいとは思う。
もうすこし他の手段がないか考えてみることにする。

人に相談するのが苦手(その2)

こんばんはまぬえらです。

わたしは相談することが苦手。相談するくらいなら自分でなんとかする。でも気軽に人に相談できる人になりたい。
そう思いつつも、人に訊こうと思うと同時に回避したい気持ちになって結局聞くのをやめて自分1人でかんがえてしまう。
そのためにはどうしたらいいんだろう

ということを、いままでのカウンセリングとは違ったアプローチで解決しようと思っています。

前回の投稿 人に相談するのが苦手(その1)

前回のおさらい
自分が相談できない理由。相談しようと思うと瞬時に、おもに下の2つの考えが頭を駆け巡るから

  • 相談しても、どうせたらい回しにされる
  • 相談したら、めんどくさそうな声や顔をされそう

こうやって自分で思って傷ついてしまう。じゃあ傷つくくらいなら自分でなんとかするわ、と結局人に聞かずに終わる。
さらに、この回避したい気持ちを宥めて相談したときに、実際にこういう反応がかえってきたこともあり、相談をするという選択肢の優先順位が余計に下がっていく。

傷つく原因(理由)はわかる。自分を否定されたように受け取る癖があるからだ。

ここまで辿り着いても、修正するにはこの癖からくる思考を、毎度反証する必要がある。でもその間に本当に全否定するような嫌なヤツにぶちあたって、「ほらね、やっぱり相談すると傷つくんだよ。もうやめた方がいいよ」という結論に至ってしまう。
その繰り返し

今まで受けていた認知行動療法ベースのカウンセリング時には、その実際にイヤな目にあったケースも掘り下げて反証していた。
この全否定するような言動をした”奴”に共感して、なぜ相手はこのような反応をしたのかを想像したり、こんな人ばかりじゃないかもという可能性(事実、世の中そんな人ばかりじゃないんだが)も認めていく。
それを繰り返して少しずつ自分の思い込みを修正していく。半年くらいで変われる人や思考の癖はあるけど、根が深ければ変わるのも時間が掛かる。少なくとも私はそう思う。

自分はなかなか思い込みを変えられない方だったと思うが、カウンセリングを数年受けたいまほとんど無くなったり、思い込みの度合いが緩くなったものもある。その一方で、なかなか変えられないこともある。
自分で自分を『変わったな』と思えるまでになるには時間がかかるし、その修正の過程で自分の思い込みを強化するような出来事にあたるとまた数歩後ろに下がってしまう。たまにならいいけど、今回の相談を回避したくなる癖に関しては、そこらじゅうにゴロゴロ転がっている。

そうしてまた掘り下げて反証して…
ぜんぜん改善している気がしない、というのが正直な気持ち。だから別のやり方を探ってみてたどり着いたのがアドラー的な考え方。

目的論で考えたら、『傷つく癖を持ち続ける目的は何か。自分を全否定されたと受け取る癖を持ち続けるのにはどんなメリットがあるのか』そういうことになるのかな。

そう思いつつ考え始めたけど、延々と目的の目的を探るようなことになってしまい混乱し始めた。

「嫌われる勇気」を読んで考え方を理解していこうと思いました。


やっぱり本を一冊読んだくらいでは、なかなかピンとこない。かといってまた1から読むのか(面倒くさい)。せめてどこがポイントかわかればそこだけ読むのに、それすらも分からないから最初から通しで読むがとても疲れる。

そこでアドラー心理学を手っ取り早くポイントだけ説明してくれる人いないかなと思ってさがしていましたら、名越さんの動画があったのでみてみました。


結果、そんな都合のいいものない。どんなにわかりやすく説明してもらっても、腑に落ちるとは限らない。
個人的には本を読むよりもハードルが低く、もう一度聞きたいところに戻りやすいという機能面でも楽だったので何回かみてみることに。

自分のことに当て嵌めながらきいてみるといいかもです。その中で
「なんらかの目的に基づいて、その手段を選択している。」という(ようなことをいっていて)のを聞いた時一瞬、「馬鹿にされたくない」っていう思いが頭をよぎった。
ふむ、相談を持ちかけた時の相手の反応に傷つくのが嫌だからというのが、回避したくなる理由だと思っていたけど、その下には

相談すること=ダメなこと無能の証明

大袈裟かもしれないけど、こんな頭があるようだ。でも確かに、自分の専門性とはかけ離れたことは相談した初歩的な質問なんかも気負わずにできる。回避したいと思うことは、思い出せる限りではない。でも自分が確固たる考えを持っているわけではないが、多少は知っていること、なんかだとほぼ人に相談はしない。知らないことが恥だと思っているのだろうか。

回避する目的を探っていたはずなのに、表層に出ていなかった原因が掘り起こされたな。

整理するためにここで原因、人に聞いたり相談することはダメなことだと考えるようになったきっかけ、に立ち戻ってみる。振り返れば親や学校の先生や他の身近な大人の関係の中で、何かを聞いたときに馬鹿にされたり、追いやられたりした記憶が簡単に出てくる。そんなこともわからないのか、いちいち聞くんじゃない、知らない自分で考えろ。家でも学校でも。
そんな経験を重ねて、人に聞いたらダメだと考えるようになった。もちろんそんな状況ばかりではなかったのだろうけど、自分の質問や相談を拒否られたのがよほどキツかったんだろうね。

大人になった今ならそれくらいの想像はできる、けど自分なら無碍にしない自信があるので、そんな態度のやつが親や教育者になったことには腹は立つ。

とにかく、たぶんその過程でそうとう傷ついたので傷つきたくないという気持ちが、人に聞くのを回避する後押しをしていた。
こういうことなんだろう。

そろそろ目的論に戻す。ではでは、回避を繰り返す目的が何か、ということ。

同じ動画ではこんなことも言っていた。「他の手段を取ると損だと思っているから損をしないために」「他の方法では失敗すると思っていて失敗はしたくないから」
もしくは、これが唯一の方法だと思っているのかも。

少しは解決に近づいてきたのだろうかね。

少なくとも、相談するとダメだと思われるという考えがそこの方にあったことがわかったし、何でもかんでも相談できないってわけでもなく、相談できていることもあるということも認識できた。

回避以外の手段を思いつくところまでいきたい

人に相談するのが苦手(その1)

人に相談できるようになりたい

こんばんはまぬえらです。 
私は相談することが苦手です

私は人に相談ができない、それはなんでだろうと考えた時「そもそも「相談」ってなんだろう?」と疑問に思うレベルです。
問題があっても自分1人で解決したい。人に聞くくらいなら自分で調べる方が楽、そう思ってしまいます。

[名](スル)問題解決のために話し合ったり、他人意見を聞いたりすること。また、その話し合い。「相談がまとまる」「相談に乗る」「友人に相談する」「身の上相談」


話し合ったり、他人の意見を聞いたりすることか。正直なところ、これすらあまりピンと来なかったり。

私が人に相談がしなきゃいけない場面に出くわして、相談するのやだなと思う時に考えていることは、

  • どうせわからないと言われてたらい回しにされるんだろうな
  • めんどくさそうな声や顔をされたら嫌だな

この二つがメインです。

あと追加で、人に聞いたが最後、相手の意見を受け入れないといけないと思っている節もある。

これを以前カウンセリングで話して、その時のカウンセラーにはこう言われました。『相談することで何か完璧な答えや解決策をもらいたいと思っているから相談のハードルが上がっているんじゃないか。』
たしかに相談しなきゃと思う時は、誰か正解答をくれ!と思っていることは多いけど、実際に正解をもらえなくてがっかりすることはないので、ここが肝だとは自分では思っていません。
ただこの時は自分でも分からなくてそれ以上掘り下げられませんでした。なので再度この苦手意識を紐解いていきたいとおもいます。

先に挙げた二つの思考、

  • どうせわからないと言われてたらい回しにされるんだろうな
  • めんどくさそうな声や顔をされたら嫌だな


これらの思考がベースにあるから相談することが嫌になるんだけど、こう言うふうに考えてしまう原因はなんなんだろうか。

きっかけは子供の頃の経験なのだろうだとはおもっています。身近なおとな、うちの親も先生たちも親族も、リアルに相談に乗ってくれた人はいなかったから。なにかを聞いて一緒に考えたり意見をもらった記憶がない。自分で調べなさい、そんなこと知らなくていい。または、そのヒトの主観で決めつけた答えをもらった経験ばかりが残っています。コミュニケーションが下手な大人が多かったのでしょうか。

いつものカウンセリングでいくと、それは子供の頃の経験であって今に至るきっかけではあるけれど、いまでもその経験をベースにした考え方を持ち続ける理由にはならないですよ、と。そんな解決への道筋になります。
でも残念なことに、子供の頃だけじゃなくて、大人になってもまぁまぁリアルにおんなじようなことを言ったりする人がいる。相談までいかなくても少し意見を聞こうとしたら不機嫌になったり、自分で考えろと言ったり、自分の意見の通りにならないとふてくされたり。そんな人をよくみかけます。そうするとこの”相談する”と言うことに対する自分の印象ってそんなにおかしなことでもない気がしてきます。

それでもちゃんと相談すべきだ、なんて言う人もいるし、自分1人で答えが出ないことだらけだし、誰かの意見を聞いた方が客観的に物事を判断しやすいと思うので、やっぱりこの考え方は手放したいのです。

だから私は、なるべく相手からネガティブな反応を引き出さずに、万が一不遜な態度を取られても引きずらずに、気軽に人に相談できる人になりたい

そのためにはどうしたらいいんだろう

人に訊こうと思うと同時に回避したい気持ちになるんだな

ところで、この前ようやく嫌われる勇気を読んだ
この回避癖、というか回避したくなる考え方の癖を目的論で掘り下げてみたい。いつものカウンセリングのアプローチだと、新しい考え方の習慣を身につけて解決していく感じになる。

新しい考え方、と言うのはこの場合だと
どうせわからないと言われてたらい回しにされる、とは限らないし、めんどくさそうな声や顔をする人もいるかもしれないが、普通は頼られたら嬉しいと思う。とかなんとか。


でも先に書いたように、結構(私が思う)変な人はゴロゴロしているわけで、新しい考え方が習慣化する前に、新しい心の傷が増えそうだと思ってしまった。だから別の手法を試したい。

”偏った考え方を持っているから”という原因ではなく、目的からのアプローチ。自動的にこう考えてしまうことに目的はあるのか、そこにどんなメリットがあるのか。
そして、傷つかない/傷つくことを避けるためには、相談自体を回避する以外に何か方法はあるだろうか


という繋げかたであっているのだろうか
ついつい「なんで?」と原因を掘り下げたくなるのでなかなか難しい。
自分の深層心理を探ることは同じなんだけどな。

しばらくは頭の中でぐるぐると同じところを回る気がする。自分なりの答えがでたら続きを書きます。

他人の振りみて。仕事でイライラする人がやっていること

こんばんは、まぬえらです。

のっけからなんですが、うちの同僚によくイライラしていつも独り言で愚痴を言っている人がいます。独り言では済まず、周囲へ撒き散らすことも多いので結構迷惑しています。
そうはいっても、まぁ思考回路のくせなんだよね、こういう人はどうしょうもないよね。と(少々上から目前で)思ってやりすごしています。

自分の経験からいうと、思考のくせを変えるのはかなり大変だからどうにもならないんだろうな、と思っている感じ。
私は特に思い込みが強かったので、何年も地道に認知の歪み気づけたその都度、思考修正をしていって、4年くらいでようやく”これは認知の歪みかな”ってすぐに気付けるようになりました。
もちろん未だに偏った思考に縛られていることもあります。


それでですね、この同僚のようにイライラが頻繁な人。とても辛そうです。
加えてこの人は抑圧も強いようで、ちょっと自分の意見を言うだけでも、感情が刺激されて声が震えてくる。結果、何が言いたいのかもうまく伝えられないなんてことも起こっています。
ちょっとしたことでもイライラしてて、自分がいつも損をしているような気持ちみたいです。
私には数年前の自分の姿が被ってみえる(滝汗)。

  • なんでみんなわからないの
  • なんで(私の言うことが正しいのに)いう通りにしてくれないのか
  • なんで自分ばかりこんなに大変な目にあうのか


そもそも周りが自分の思う通りに「ちゃんと」やってくれればイライラすることもないのに。と、どんなに不満を漏らしても思い通りに動いてくれません。


もしくは考え方を変えると世界の見え方もガラリと変わるのですが、すぐには変えられないかもしれません。
でも思考の癖を変えるの自分の思考を疑うことが必須なので、気がつかない限り無理ですね。
私が思う手っ取り早い方法は、自分でできることを考えて行動することです。全てこれで解決ではないけれど、楽になるはず

このイライラ同僚は毎度誰かに結果を期待をしています。

  1. 自分の業務大変だから仕事のやり方を変えるべきだと思います(=そして自分が楽に仕事ができるようにして欲しい)
  2. Aさんは言ってもやらないから、上司からその人に言ってください(=そして自分の期待通りにして欲しい)
  3. お客さんにちゃんとやるように言ってください(=そして期待通りの結果も持ってきて欲しい)


()部分がこの人が期待している結果(私の推測)です。 
問題提起するとか、お願いするとか、相談するとかというのは、それぞれの役割と責任によって決まってくると思うので、そこから逸脱しない限りはいいと思うんです。(逸脱してもいいけど、相手に嫌がられる可能性が高くなるので基本やらない)
でも、その結果まで丸投げしてしまうのはどうなんでしょう、と思うわけですよ。これがイライラの原因かなと。

結果、誰も動いてくれなかったり、欲しい結果が得られなかったり。その結果に至る過程で、自分がやりたくないことが予期していなかった痛みを伴うこともあります。


そうすると、

おかしい、こんなはずじゃなかった。こんなことお願いしなきゃ良かった。前のやり方の方がマシだった

いやいや、上司が(他の人達が)ちゃんと考えてやってくれないからこんなことになるんだ。


それでまたイライラ。イライラループの開始です。

これは私の実体験なのでみんなにあてはまる思考ルートではないと思うんですけど。でもこのイライラ同僚の話を聞くとこんな感じ。 まぁ私と似てるんでしょうかね。

1番だと、この人の場合は「これが大変なんだ」という主観に基づいた現状と、「こうなったら楽になる」と言う結果には自分の意見を持っていますけど、原因の究明とか、結果に至るための具体的なプロセスについてはお任せなんです。

美容院でお任せでーって言うのとは違います。金払っていないんで。
(美容院でお任せするのも個人的には好きじゃないですけどね。仕上がりに文句を言わない前提ならありかと)

プロセス丸投げでは人はやりたがらない。相手が上司なら、じゃあそのためにどうしたらいいと思うわけ?って思われるか、あんたが今まで通り頑張れば?って思うでしょう。
無能な上司なら、上司自身も自分で考えないからやっぱり、今まで業務が回ってたんだから、今まで通りがんばってね、になるでしょう。 
相手が隣の席の同僚なら?なんであんたのためにこっちが脳味噌と時間を使わなきゃならないわけ?ぐらい思ってもおかしくないでしょう。

そうはいっても、部下や同僚が困っているのだから助ける/協力するべき、と言う意見もあります。

でもこれは助け合いでも協力でもないですよね。丸投げしてるんだから、依存です。子供が親になんでもやってというのと一緒。

仕事関係の人は自分の親ではないし、自分は幼児でもない。

  • なんで大変だとおもうのか
  • どこをどう変えれば円滑に進むと自分は考えるのか。そしてそれはなぜか。
  • Aさんは自分が言った通りにやらない理由は何か
  • どうしたらやってもらえそうだと思うか。そしてその理由は
    ……


自分ひとりでも考えられることはたくさんあります。これをした上で自分ができないことや苦手なところは他の人の意見を聞いてみたり、他の人に動いてもらったりをするのでいいんじゃないでしょうか。

もちろん、だからと言って期待通りの結果になるとは限らないです。上長の承認が下りないなんてこともあります。が、何かしらの成果が出ます。

その成果を以て次を考える、の繰り返し。

これでは自分が責任を負うみたいじゃないか、と思うかもですがその通りです。誰かが責任をもってくれると周りの人は安心して好き勝手言ってくれますし、言われたことをやるだけなら楽だから動いてくれる。(余計なことも言ってくるけど)

自分で考えると思い通りにできなくて落ち込むことは多々あれど、イライラは明らかに減ります。

いろいろ楽すぎて人生イージーモード、というまでには至りませんけど、それまでよりは全然まし。

ただ自分で考えるにも、慣れていなくて自分の主観に嵌ってしまったり、何が問題かはわかるけど課題を見つけられないと言うことがあります。

そんなときは、よく言われるフレームワークとか理論とか使うと突破できたりします。

うちの会社では5W1HとかPDCAとかSWOTとかうるさく言われますが(ほんとうるさい)。
こう言う理論も時代背景とともにアップデートされていくものなのかもしれませんが、最新版じゃなくてもなんとなくつかっています。
プレゼンの時だけ使うんじゃなくて、日頃考えを進めるときに結構役立っていたりしますのでおすすめしたいです。