こんばんは、まぬえらです。
先日、田嶋陽子さんの「愛という名の支配」を読みました。オリジナルは20年くらい前に書かれていますが、新潮社から今年文庫が出たそうで話題になっていてわたしはそれではじめて知りました。
彼女のフェミニズムについて経験を元に書かれた本ですが、彼女の母親との関係についても深く書かれています。
改めて振り返る公立幼稚園落選事変
昔、お世話になったコーチングをされていた方に母との関係をはなして自分が苦しいという話をした時、お母さんが、どう考えたいたのか想像してみるといいですよ、とアドバイスをもらったことがありました。でも当時の私には母のことを想像することすることが苦痛だったし、試してみてもいろんなところから様々な思いが湧いて出てきてしまい客観的になることはできませんでした
その後カウンセリングを受けて、冷静に振り返ることはしてみたのですが、
今回、田嶋さんの著書をよんで改めて母の置かれていた立場などを想像してみたいと思いました。
過去の記事で触れましたコチラ、の振り返り
公立の幼稚園の抽選に行った帰りかな。抽選に落ちてしまったんですが、前を歩いていた母親が突然ふり返って「落ちてよかったと思ってるんでしょっ!」て言っていましたね。 この時は驚きがキャパ超えて恐怖になりました。
もし思っていたとしても「だったらなんだ?」ですが、言われた方としてはとばっちりです。
あの時代にTwitterとかのSNSがあれば、こんなこと言わなかったかもしれないですね。
理解してみようと、自分の記憶を頼りに彼女の言動を分析したりしてみた事もあります。一人でやったのでかなり辛かったですが、客観的にみられるようになりました。
一人でやるのはおすすめはしません(精神的に安定している時や重くない事なら別ですが)
なんだか前に話題になった「保育園落ちた日本しね」と似てますね。
親から譲り受けた持ち家はありましたけど裕福な家庭ではなかったと思います。だから公立の幼稚園に行かせたかっただろうというのは簡単に想像つきますね。
でもなぜその抽選に落ちた鬱憤を幼児にぶつけて晴らそうとしたのかなー、という話。
思い出せる限りで母を取り巻く状況を客観的にみてみたいと思います
バックグラウンドはこんな人
母は当時アラサーの専業主婦。短大の英文科を出て外資系の企業に入社しましたが、寿退社。昔の王道パターンです。
姉がいて彼女は日系大手メーカーに努める人と結婚しています。
近所にママ友がいてそこの娘が私と同い歳(幼馴染)。そこのお父さんは公認会計士です。そのママ友はお嬢さん育ちで都会のど真ん中に実家がある人です。
子供同士歳は近いし、比較的近くに育児の愚痴や相談相手がいる環境なのではと思います。影が薄い父ですが、彼は公務員で普通に早く帰ってきていた気がしますし。
ちなみにこの頃は下の子を妊娠していた時期かなと思います。
彼女のバックグラウンドですが、
両親は離婚があってひとり親家庭になったのちは、家事全般子供がやっていたみたいです。
貧困とまでは行かなかったようですが、結構苦労があったと言う話を聞きました。ちなみに彼女たちの父親は小金持ちです。
強い階級意識を持った人うたがい
そんな彼女の結婚後はどう感じていたんでしょうね。
よく結婚するまで勤めていた会社の話をしていました。お茶汲みと笑顔が仕事で腰掛けでみんな辞めていくと。
それでもその会社は今でもある超有名企業でしかも外資系なので外国への興味が強かった母にとってはそこに入社したことが誇りのようにみえました。
でも時代的に専業主婦になってなんぼの社会ですから、辞めますわな。
それで夫の稼ぎで悠々自適に生活できるかと思えばそうでもない。普通に生活はできたけど、わたしの目からは余裕はなさそうに見えました。
もしかしたら、自分の父親は金持ちなのに、姉やママ友の夫は高給取りなのに、自分のキャリアを諦めてこんな風になるはずじゃなかったのに。
って思っていたかもしれません。
そこに追い討ちのようにハイコストの私立の幼稚園費用。キャリアを諦めたのに内職とかパートとかしなきゃいけないのか。
どれもこれもお前のせいだー、かな。このお前は誰でもよかったのだと思うのですが、彼女の周りの人間は彼女からみて立場が強い人なのでしょう。
そこに自分よりも誰よりも弱い人間がいるからそこにあたった。それがわたしだったのだと思います。
ここでいう周りの人間って私の父や祖父母と先に書いたような人たち。うちの母の価値基準は金、容姿、学歴、職業、社会的地位です。掘り下げれば別の事が出てくると思いますが、表面的にはこういった事だと思っています。これらは私が友達の話をすると必ず聞かれることでしたので、よほど大切なことなのでしょう。
自分よりもお金を持っていたり、自分の夫よりも見栄えのする職業の相手と結構している人なんかは、上位の位置付けなので愚痴はいえても八つ当たりはできないです。
そして嫁という立場、寿退社をして専業主婦になったのであれば男尊女卑の思想にも使っていたはずです。であれば、多くの人が彼女的には上位カーストだったのではないでしょうか。
そうしたら当り散らせる相手は限られてきますね。無意識に、身近で立場が弱くて自分に抵抗しない相手、にぶつけるしかないでしょう。
私は全て彼女の考え方の問題だと思っていますので、仕方ないなんて思わないです。
ただ取り巻く社会制度や環境、思想や教育が無意識の選択をアクセルレートしたとも思っています。そしてそう言う事が彼女の価値基準の根っこになっているのだろうと思います。
起きるべくしておきたことなのですよね、きっと。
許せる頃には飽きているだろうという希望
でもやっぱり積極的に許そう、とかは思わないです。報復してやる、とも思わないです。今も彼女は変わらないし(相変わらず人を値踏みする)、根に持つことで彼女に引っ張られないように踏ん張っているような感じです。
カウンセラーからはそこから何を学ぶかが重要というようなことを言われましたが、学ぶことは思いつかない。あんな事があったからいまこんな風に考えられる、なんてやはり思えませんでした。傷ついて終わり。反面教師にもならなかった。
彼女は自分が正しいこの子に文句を言う権利があると思っていたかもしれませんし、大人にとっては些細なことかもしれませんが、傷つけられたことはなくならない。
なので私は自分の気がすむまで根に持ちます。飽きたらやめればいいと思います。