ほいほいそうこ

70年代生まれ、アダルトチルドレン。メンタルこどものまま中年になりました

自分で自分を幸せにするということについて

こんばんは、まぬえらです


アダルトチルドレン 関係の本やサイトをみていると、克服というか乗り越えるためには自分自身を癒すとか、インナーチャイルドを癒すとかでてくるのですがどういうことなのかピンときていなくて空回りしていた時期がありました。いまでもから回っていますが、自覚できているのでよしとしています

  • 常に持っている不安と不満
  • ちいさな望みを叶えてあげる
  • 自分のやりたいことを選択したつもりだけど
  • ひと手間が何十倍の満足度に変わる


常に持っている不安と不満


ACの自覚がある人ならわかると思うんですが、いつまで経ってもなんか不安という感じがあります。

経済的に余裕があっても不安、人からうらやまれるポジションについていても不安。
幸せそうな人を見ると羨ましくなる。自分もああいう家庭で育ちたかった、自分は
高度の知識や技術があったらつい人を見下してしまう。そのくせ原因もわからず不満だしそこはかとなく不安。


そういう感覚が常につきまとっています。これはまだ自覚があるだけマシというか改善してきたほうで、それまでは自分が不安や不満を持っていることを認めていませんでした。感情を不安というような言語化できていなかったのもそうですが、仮になにか不満がある・不安があるとしても、あくまでも外部から引っ張り出されたモノで、のぞみ通りの環境を手に入れれはなくなるのだと信じていました。


ちいさな望みを叶えてあげる


ACの自覚をする前にはこの不安感や満たされない感じは今の仕事があっていないからだ、自分のやりたかったことができていないからだとして、「本当にやりたいことがない」とか「自分の天職とはなにか」などをネット・本で調べたり、スピリチュアルのセミナーとかセッションに行ってみたこともありました。
残念ながら疑り深い性格のためスピリチュアル系は肌に合わず、常に『なにか騙して金取ろうとしてるんじゃないか』という目でみてしまっていたので続きませんでした。
それでもどんなスピリチュアルだろうがカウンセリングだろうがいわれたのは自分を大事にしてあげましょう。具体的には自分の小さな望みを日々叶えてあげることが効果があるということでした。ちょっとしたことを実現して、それを継続することで自分の”本当の”望んでいること、やりたいことが沸いてきたりはたまたその傾向から分かるようになると。そしてそんな小さな願いを叶えていくことで満足感を得て小さな成功体験として蓄積していくことができると。


自分のやりたいことを選択したつもりだけど


それで、やってみました、もちろん。自分の望みを叶えるなんてとてもいいことだし、簡単だと思いました。だって日々いつも我慢してるから、やりたくないこともやって、買いたい物や食べたいものを家計や身体のために我慢しているのでそれをちょっとずつ許可していくのは難しいことではないと思いました。
たしかにうちの両親はわたしが何かをしようとすると、そんなことやってなにになるの?もったいないからやめなさい。もっと役に立つモノ買いなさいよ。の人たちです。その時に親に言われて我慢をしていたんだという自覚はなくても、常にそういう目線(どちらが役に立ち金銭的に得をするか)で物事の選択をしていたのはわかっていましたので、日々の小さな望みから叶えていくということが有効というのはとても腑に落ちました。


でも中々おもったとおりにならないんです。やり始めて3ヶ月目くらいから変わってくるよ、またはそういう実感が得られるよなんていわれるんですけど。
相変わらず”自分にはこれ”というものもないし、アイデンティティもぶれぶれ。
挙句にその変われない自分を責め始めてしまいます。


ひと手間が何十倍の満足度に変わる


自分がやりたいこととか望んでいることというのをわたしは理解していなかったです。表面的な望みとコアな望みの2層に分かれてた。わたしがやっていたことは表面的な望みを叶えることでした。これは
コアな望みは一瞬出てくるんだけどすぐに表面的な望みに隠されてしまうことがほとんどであまり叶えられることがなかったです。


本当に些細なことなんですが、例えばこの前疲れて遅くに帰宅した日がありました。インスタントのねぎのみそ汁だけ飲もうと思い、お湯を沸かした時に”ちょっとのねぎだけじゃ味気ない。おとうふもいれて”って一瞬思ったのですが、次の瞬間には"(もう遅いし洗い物増えるのが)面倒くさいからやりたくない”って思っていました。この、豆腐欲しいとやりたくないの2つの欲求に対してこれまで、直感的に後者の「やりたくない」の方を選択していて、自分の望みを叶えてきたとおもってたんですよ。でも本当はおとうふいれて欲しいんです。こっちが本当にやりたかったこと。


ちゃんと自分の望みを自覚できて実行できたときの達成感とか満足度ってすごいんです。いきなり自分の思考回路が永続的に変わったりはしないけど「あー幸せ」ってその時は確実に思えるし、それができた自分を褒め称えたくなります。
面倒くさいって思ったのにやってくれてありがとうって本当に思う。

怪しい(と思っていた)セミナーとかカウンセリングでいわれたことは、これの積み重ねなのだなっていうのがようやく実感できたのは何年も後でした。


育ち方によると思うのですが、わたしの場合は基本的に自分の希望に対して「ダメ」が出る環境で、物心つく前は覚えていないけどその時から相当いうことを聞く大人しい子だったらしいので、早々に諦めたのだと思っています。だからイメージとしては駄々をこねるこどものわがままを極力きいてあげる。叶えられなくてもその願いを真剣に扱ってあげるということが、自分を大事につながるのだと考えています。
もちろん後者の「やりたくない」も大人な自分の望みではあります。こっちも真剣に考える。

いい大人になってから自分と向き合うということを始めるのは大変ですね。