ほいほいそうこ

70年代生まれ、アダルトチルドレン。メンタルこどものまま中年になりました

【オリンピック】自国を応援する気になれない自分【自己分析】

こんばんは、まぬえらです
とりあえずオリンピックが終わりましたね。パラリンピックはどうなることやら。本当にやるんかな、不安しかないです。
今回は、スポーツの大会などで自分の国を応援する気にならないという話を書こうと思います。

今大会はとくに疫病禍ということもあり、純粋に応援する気が起きないよって人もいる様ですが、わたしは昔からそんな感じです。
テレビの中継で日本試合ばかりなことに違和感があったし、不満でした。
メダルを取ったとか何位になったとか。大会じゃなくても日本の選手がどこそこで活躍したということに関しても、そんなに喜ばしい気持ちにならない(というか全然ならない)です。

このオリンピックで日本金メダル何個取ったとか聞いてもなんとも思わなかったし。自分には関係ないことだと感じる
それでも自分の周りでは、普段見ない競技でも観戦して日本の選手が頑張ったとか、惜しかったとかそんな話をしている。でもこれは日本人に限ったことじゃなくても、うちの国はこれで初メダル取ったよーとかが話題になる。
そんな話題にまったくといっていいほど乗っていけない自分がいやで、ニュースみて話題についていける様に情報だけは仕入れておくということをしていました。

オリンピックに限ったことではなくて、他の大会でも同じ。サッカーだろうがベースボールだろうがの国際試合で日本が勝っても負けてもなんとも思わない。
自分の国の国際大会での結果や選手の活躍を話したい、という気持ちがこれっぽっちも湧かないことが不思議です。自分はどこかおかしいのだろうか、とさえ思う。
だって普段とくにスポーツに興味がない人でも、その時になったら応援したり、そこまでしなくても試合を見ていたり結果が気になったりしてるでしょう。少なくとも私の周りはそうだ。
だから自分がおかしいんだという気持ちがどこかにあった。

でも多分だけど、もし自分が外国人として他の国に住んでいて、その国でオリンピックが開かれるとなったら盛り上がりそうな気がするんです。
その国は絶対応援するかな。そして少しは日本も応援しそうな気もする。いずれにせよ今みたいな冷めた感じにはならないんじゃないかと思っている。
なんで普段は自国を応援したいという気が起きないんだそうか。

ちょっとネットを漁ったら反対に「自分の国を応援したくなるのはなぜか」というアーティクルがあった。
それによると自国を応援したくなるのは、自分がそこに所属しているから。小学校の頃のクラス対抗とかが身近かな、あとは会社の評判が良かったりすると誇らしく思えたりとか、そういうことらしい。

これは納得感が高い。

ああ自分はこの国への帰属意識が低いんだ。この国というより自分より外の世界への帰属意識、所属感。
それが少ない。

そう考えるとたしかにそうだ。基本的に周りはみんな敵だと思っていて、そういう世界観で生きてるので所属感があまりないのは当然といえば当然。それは国だろうが他の組織でも同じ。自分が所属していないむしろ敵ばかりだと思っている国を応援したいなんて思うわけがない。


それでも外国では自分が外国人なのでどこかに所属していたいと思うのだろう。そこで選択肢は自分の出身国しかないから、日本にいるときよりも日本人としてのアイデンティティが強まるのかもしれない。あとは日本のいいところが比較して見えてくるというのもあると思う。でも国に帰ればやっぱり敵だらけの社会なんだ。


SNSで同じように”どこの国の選手とか関係ない”って言ってる声を見るとホッとする。でも同時にその人たちが自分と同じ理由でのその意見とは限らない。だからただホッとしていると、自分の理由を考えないでスルーすることになってしまう。


自国を応援したり、誇らしく思ったりすることが正解なわけじゃないと思うけど、自分が正解なわけでもない。
他のみんなと同じ様に自分の国の応援で熱くなったり、結果で一喜一憂したりしたいわけじゃない。でもこの世界観は少しずつでも変えていった方がいい。

【ハイハイ連呼】わるい教育の賜物だよね

こんばんは、まぬえらです。
ちょっと気になる知り合いの話を書こうと思います。

前に同じチームで働いていた人なんですが、人の話を「ハイハイ、ハイハイ」と相槌打つ人だったんです(今でもそうだけど)。何かを説明している時にこういう対応されると理解したのかしてないのかちょっと不安で、まあでも、わかったんだろうなと思って切り上げる。
するとすぐに確認してきて「こうこう、こう言うことだよね」って聞いてくるけど、大体的外れなんです。わたしに対してだけでもなく他の人の話でもそう。

なんで結局後から再確認するのに、その時は全部了解👌ばりにハイハイ言うんだろうと不思議でしたし、「ハイハイ連呼」で急かせておいて全然伝わってないじゃんかよ、とも思ったものです。正直仕事もやりづらい。

何度も説明し、その説明も途中でハイハイと打ち切られる
結構イラついていました。短気な先輩なんかからはガチ切れされていましたね

なのでちょっと考察すしてみたんですよ。本人はどうしようもないのでせめてイラつきは減らそうと思って。
その結果なんとなくだけども、「自分はわかってますよ」っていう事を印象づけたいようです。言動そのまんまですが。

相手にこの人はちゃんと分かっている。=できる人
そう思われたい気持ちが強いのかな

人の話を遮ってまで「ハイハイ、つまりこういう事ですよね」とは言うが的外れだったりして、全然効果はないのですが。
でも、そこに被せて過去の自分の武勇伝や知識を話してい様な気がする。たこの人のことを考えると、そういう方向であってる

できる人と思われたいと言うよりも、認められたい
またはそれ以上に、否定されたく無いとか保身の方が強いのかな

そうなるととても身に覚えがある

相手は否定するつもりもなく、そう匂わせるような言葉を発してはいないけど受け取る自分の脳内で一度でわからないなんてダメなやつに変換されてしまう
これは受け取る側の問題だから伝えるほうが何を言っても無駄かもしれないけどね

こういうのって、「一度しか言わないからよく聞いて」とか「3回同じこと聞かれたらもう答えないから」とか言い出す先輩とか立場が上の人の影響だよね。
私の子供時代の学校教育でもこういうのはあったかもしれない。家庭教育でも
何度も同じことを聞くな
こういう指導ね

うちの母親は何度言ったらわかるの!何度も同じこと言わせるな!ってよく言ってました。こういうのの積み重ねで、説明されたことに質問したらだめ。一度で完璧に理解しないとダメ。そんな考え方になっていくんだと思う。


本当こういうのメーワク。クソな教育だとおもいます。

受け取る側だけじゃなくて、説明する側が下手だなんてよくあることだから


ほかにもこの人の「ハイハイ」には考えられる理由があるけれど
このハイハイ反応はとりあえずは仕方なしと一旦は受け止めるとして、

本当に伝わってんのかよーと不安になる部分は、なんとかして「あなたは大丈夫だから」を伝えつつすれ違っている部分を引き出すようにするしかないだろうと思う
もしくは、こちらから声明中に答え合わせができる展開にもっていくとかだろうか。

単なる「ハイハイ」いう癖ならいいのだけど、正直面倒くさいよね

【察してちゃん】言わなくてもやってくれますよね【&認知の歪み】

こんばんは、まぬえらです。
カウンセリングに通って4年くらい、今は行ってないけど。それでも自己分析癖がついてきたかな、と思ってます。
最近では久しぶりに同僚の発言にイラついたことが自分でも不思議でした。普段仕事をしていて人の言った事でイラッとすることはないんですが(こちらを全否定したりなど攻撃してくるケースはもちろんムカつく)、この前は内心「なんなんだコイツ💢」って思ってました。
まず、私がいまの職場で働いていてイヤだなと思っていることがあって、それがはっきり言わないこ人が多いこと。やって欲しいや、やりたくない、を言葉にしないで匂わせる事。言葉を濁すどころの話じゃない。
勝手にこっちが察してやってくれるもんだと期待していて、こちらがやらなかったりすると「普通は〇〇さんの仕事」といったりすることですかね。
それを回避するために、もしかして?と思ったこちらは”何を誰がいつまでに”をいちいち聞く。指示する方が最初から言ってくれればいいんですけどね。
そんな部署なのである程度さっするスキルはついているんですが(うれしくない)、この前のことは無理だったわ。

顧客から受け取った書類を担当の人に回したら、添付していた附属書類で間違っているところがあると。「あっそうなんだー?」って言ったけども、何が間違っているのかをその同僚は一生懸命説明してくれる。

だから何?これはどうしたらいいんだ?
その附属は私が作るもんじゃないんですけどね。その担当が作成者に依頼して書いてもらって、それを私に送り、私が顧客から受け取った他の書類と一緒にまとめて送るってフローです。
でもこの人は、作成した元の人に修正してほしいらしい。その修正依頼を私にやって欲しいようなんですわ。でも「まぬえらさんがやって」とは言わない。
「これ間違ってるんですけど」
だけ。あとは延々と詳細の説明。
再び、だからなんなん?
私にやり直しの指示しろと?
だったらそういえって思ったし、
そもそもあなたと相手の間で進んでした事ですよね。もし私にやって欲しいとしても、なぜ突然こっちに振る?
ってそう思いました

その時にはすでに苛立ちがわいていました。
それで後から自己分析してみましたよ。

苛立ちの理由一つ目は、同意がなかったこと。
「これまぬえらさんやってね。」「了解」

このやりとりなく、まぬえらがやるもんだと思ってた体で話された。私がokしてないのに!
自分を蔑ろにされたと感じたから

2つ目。はっきり言われなかったから。
明確に何をしてほしいか言わず、遠回しな表現だったのがイヤでした。
別に1番目の事前の同意がなくても、この業務お願いしてもいい?で事足りたかもしれないんです。この同僚とは、お互い手が回らない部分をやり合ったりしてるので。

それなのに、本件ははっきり言われなかった。あなたがやるのが当然と言われたと感じてしまった。この同僚同僚に依存の様な甘えを感じてイヤだったんです。甘えんなよ!って感じ。

これは自分自身が甘えたり人に頼りたいという欲求を未だ抑圧しているから、甘える相手がムカつくんです。多分
3つ目は、自分の正義感、美学に反した事を私に向かってしてきたから。前の2つのまとめになりますが、私の常識を相手に言葉に出しはしなかったものの押し付けていた。
仕事は目的意識を持って、分担が決まっていない業務は誰がやるか合意してやる。で、言葉に出すこと。これが私の常識
あと落とし穴が一つ。もしかしたら相手は特にアクションは求めていなかったのかもしれない。ただ間違っているって事を肴に喋りたかっただけ。の可能性もちょっとはある。多分ほとんどないけど。
でも前の会社ではそういう人がいたなと思い出した。自分でやたくないというのもあるようなんだけど、いかにその間違えた他人がダメな人かを話して盛り上がりたいっていうケース。
なにかイヤな事をされて愚痴りたい、とかではないので人を馬鹿にしたい(=自分を持ち上げたい)と言う気持ちは私はわかりにくい。だからスルーしてしまう
でも、私の場合は自分の美学や抑圧があるからスルーできずに、”私になんとかしてほしいと思っとんのか!?ああ!?”と喧嘩腰になってしまうんですよね。
これはね、またまたうちの母親とかの影響だよ。基本的になんでも察して顔色伺って動かなきゃならないから。
あーくそ、親に腹たって来た
いまは察して動く、と言うことはしないように心がけてしてるんだけど、無意識では自分の主観で決めつけて察しているところがある、とあらためて自覚しました

自分が溜めている怒りと自分が求めている言葉【自己分析】

こんばんは、まぬえらです

ラジオテレホン人生相談が好きなんですが、平日の放送なので聴けることは、まぁ、ないです

ありがたいこと書き起こししてくれているサイトがあるので、もっぱらそのサイトで読んでいます。

色々なテーマの相談があるけれど、わたしが好きなのは母が大人になった子供のことを相談するやつ。それが娘だとなお良い。

相談者が自分は被害者だというように、娘がこんなことした、こうしてくれない、娘のためを思っていってるのに、といまうまく言っていないことを話す。それに対して、回答者がスパッと切ってくれるの気持ちいい。

この切ってくれるというのは、別に相談者をボロカスに言ってボコボコに傷つける、ということではない。子供側の立場や想いを想像して代弁して、お母さんあなた全然娘のことわかってないよ、とそんなことをたいていは言っている。客観的にどうみえているかと、娘の立場を想像した結果の意見を言う。

時には、娘のことやこの状況を分かろうともしてないのになんで被害者ぶってんの?って指摘もする。

因果を紐解いてるだけなのかもしれないし、子供の見方をしているということではないのだろうが、わたしにとっては味方だ。

そういうケースの相談の時に、わたしが回答者を味方だとおもったり、その回答にスカッとするのは何故だろう。

そりゃわたしがやりたかったことだから。実家にいる頃には、なんでお前はダメなんだ、こんなはずじゃなかった的なことを散々言われて毎度傷ついていたんだけど、自分では傷ついていることにすら気がついてなくて、なんで自分はダメなんだろう、と一緒になって自責してた。

でも本当は違うんだよね。言い返したかったの。なんでそんな失礼なこと言うの?あんたがこう言う育て方をしたからわたしはこんな思考回路が出来上がってんだけど、あんたが褒めは0で怒鳴るばかりだから英語の勉強嫌いになったんだよ。

などなど。

この人生相談に母が相談したら~って妄想するのもスカッとする。他の相談者と同じようにバッサリ切られればいい。そう思う。

回答者の方は、ときにその子供の評価を客観的な目線でしたりする。〇〇してX Xして(根拠)、自分なりに頑張ってるじゃないですか(評価)。とか。

だからその妄想の中では、わたしも褒めてもらえている。やっぱりこれも自分が言われたいことだ。言われたかったことでもある。

小学生の頃、外で遊ばず絵を描いて過ごしていると、また絵ばっかり描いて。外で遊んでこい、と怒られる。しかたないから公園に行った。

友達の新しい自転車に試乗させてもらって、転んで、自転車が傷ついて、弁償しろと言われた。

想像してみる、もしあの当時の母が「娘が家で絵ばっかり描いていて外に遊びに行かない。子供なんだから公園で友だちと遊ぶべき。内向的で良くない」みたいなそうだんをしたら。どんな回答をもらうんだろう、と。

自分の好きなことがあって集中できるなんてすごいじゃないかと、想像の中ではそう評価される。内向的なのは悪いことではないのでは?なんて言われればいい。

いかに自分が主観を理想を子供に押し付けて、自分の期待通りにコントロールしようとしていたかを他人から指摘されて愕然とすればいい。あースッキリする。

こんな回答者からの言葉は「自分が言われたかったこと」だったりする。

学校から帰って絵を描いていたら、好きなことに集中できていいと言われたかったし、自分の性格、性質を否定してほしくなかった。

今そんなことを思っても、仕方ないと思われそうだが、自分はこう言われたかったんだなぁと自覚することで当時の傷ついた心を癒すことには繋がらないか。

あの時は、外遊びに行かない自分は内向的で、この社会では劣った価値のない存在だと思い込んでいたが、そんなことはないと認めることにならないだろうか。

ぜひそうであって欲しい。

瞑想したら寝付きがよくなった【入眠30分】

こんばんは、まぬえらです。

わたしはベッドに入ると10-20分くらいで眠れる方なのですが、最近はすぐに寝付けない日がちらほら出てきました。自分基準だとすぐ眠れるというのはベッドに入って30分以内。それ以上かかるとちょっと寝付きが悪い状態、1時間以上だとヤバくてあせります。

そうはいっても寝付けない日は滅多にないのですが、すぐに眠れない日が年内に数回でもあるというのがわたしには異常事態のため、早めに改善したく取り組みをはじめました。

実は30代半ばまでは全然寝られない人で、毎日1時間以上は寝付くのにかかっていた気がするし、3時4時くらいまで目が冴えてしまい明け方に焦るなんてこともしょっちゅうな生活でした。歳をとって体質が変わったというのもあると思いますが、一応世の解決策は試してみてるんです。例えばこんなこと

  1. 瞑想
  2. 早起き
  3. お風呂
  4. 運動
  5. 読書

これらを試した結果、わたしには後ろの二つは効果なかった。方法が適切じゃなかったのかもしれませんが、眠れるようにはなりませんでした。

まず5. 読書は普段読むような小説を読んでしまっていたので、続きが気になって最後まで読む、そして夜更かし。そのあとの脳内補完で眠れないというループでしたし、
4. 運動はその時までの人生が運動自体と無縁だったので(授業くらい)、何をやったらいいかわからない。なので本・雑誌とかでストレッチやヨガをみながらやってみたのですが、それを真似するのに必死で脳みそフル回転でリラックスできず。加えて自責体質ということもあり、寝ようとしても上手くできないことを悪く考え始めてしまい、結局眠れない状態を作ってしまっていました。

いまならこの二つも効果が出るような気がします。社会派noteの記事なんか読んでいたらうとうとしてきそう。(寝る前のスマホは良くないと言われていますが)寝落ちしても後から戻って読める時代だし。

残りの3. お風呂、2. 早起き、1. 瞑想のうち3. お風呂、についてはよくわからないです。いまでもよくわからない。

20代は実家暮らしだったのでお風呂はもう順番にどんどん入っちゃってーっていう感じでリラックスタイムでもなんでもなく。入るタイミングも家族メンバーとの兼ね合い次第だし。

いまは好きな時間に好きなように風呂に入っているわけですが、湯船に浸かりながら眠くなることはあっても、それで入眠しやすくなるっていう実感はありません。自分に実感がないだけで効果はあると思いますよ。

一番効果があったのが瞑想と早起きのコンビネーション。

瞑想?メディテーション?正確には瞑想とメディテーションは違うらしいですが、わたしは同じくくりで捉えています。
そして早起きとセットでやるとなお良い。

早く起きてるんだから早く眠くなるのは当たり前だろうと言われそうですが、当時の状態は入眠が遅く、それでも普通に朝起きて出勤しているので、常に寝不足なんですよ。それでも寝付けない。
だから早起きしたからといってすぐに眠りに入ることができるわけではなかったんですよね。

当時のわたしが寝付けなかった原因は、読書と運動のところでも書いたような、ベッドに入って色々考えがループしてしまっていたからなんですね。

瞑想+早起きにした結果、瞑想で思考ループしにくくなり、早起き効果でさっさと眠くなる状態が作り出せたんだとお思います。

当時は自室が朝日が入る部屋だったので、早く起きて朝日眺めつつ座って瞑想、5分くらい。これをほぼ毎日つづけたらいつの間にかベッドに入ってすぐ眠れるようになっていました。
これからの季節は段々と日の出が早くなってくるので、気持ちいいでしょうね

そんなわけで、過去の実績がある早起き&瞑想を今回も、と思いましたがきっと瞑想は夜やってもいいんだと思います。なんなら昼間でもいいはず。
今は規則的な生活でもあるし、今回は日の出と共に起きるのはやめました。

なので効果絶大だった瞑想をまずはやり始めています。いまはスマホアプリも充実していて、ガイドに頼ってできたりするので手がつけやすいですね。

わたしはInsightTimerという瞑想アプリを使っていて、これを結構気に入っています。様々なヨガや瞑想の先生?コーチみたいな人たちが登録して自分のレッスンや音楽を公開しています。ほとんどが無料で聴けるのでとてもありがたい。その中でLive配信もあるので一緒に瞑想とかヨガとかやりたいっていう人はいいと思いました。わたしはやる気ないけど

ただそれぞれ個人が作って登録しているのでその人のガイドの仕方が合う合わないあります。BGMがあるかないかとか、話す速さや声の高低。自分が聞きやすい人を何人か見つけてしまえば状況によって好きな人のガイドを選択すればいいだけなんだけど(お気に入り保存ももちろんできる)、それが見つかるまでは聞き始めては聞きづらいから止めの繰り返しになるかもLive配信も時間帯が合わなければ、どんなに気に入った人がいても永遠に参加できないので、一長一短ですね。

あと言語は基本が英語です。でももちろん日本語で登録している人もたくさんいるので、言葉は問題にはならない気がします。でも英語で聞くとなるとアクセントが気になることもしばしば。なんか聞きにくいとか。そういうのが気になる人は、合う人を探すのが手間かもしれません。

こうやって並べるとデメリットの方が多いですが、実体験としては効果がでていて、帰宅してからも頭パンパンで眠れるかやばそうな日でも、瞑想すると眠れる状態になっているのでおすすめします。ただ自分の場合ですが、大抵の場合はベッドに入って電気消してアプリ開いて寝ながらやるってことをしています。そうすると瞑想が終わる前に寝落ちです。(終了したらクローズするっていう設定ができます)
だから結局瞑想はしていないんだけど、寝れるのでヨシ。そのため自分に心地よいペース、アクセント、声の高さの人を探すのが大切なんですね。

このアプリのことをもうすこし書くと、最初から入っている初心者用瞑想コースは絶対やった方がいいです。ここで呼吸方法をおしえてくれるので、最後に書いている電車での瞑想(というかリラックスタイム)で使えます。

ついでに寝落ちできる瞑想ガイドとして紹介したい、Netflixで配信している瞑想ガイド。これの日本語版を聞いてください。とても素晴らしいソフトで落ち着く声の方がやってるんですよ。

おかげで最後まで聴きたいのに最後まで起きていられないジレンマです。でも本当に声を聞くだけでもリラックスできるし、ちゃんと起きていられたなら瞑想についての初歩知識もつけられたのでよかったです

寝付きと直結しないかもですが、寝不足の悪影響は減らせます。


眠りが浅かったり、前述のようになかなか眠れなかった次の朝は通勤時の頭の重さが半端ない。頭が痛いとか目が重いとかではなくなんか頭の奥の方が重い状態。
そんな時に電車で座って2駅、(うちの路線は座れるくらいガラガラになるのが2駅分あるので)目を閉じてメディテーションしてみる。すると降りる駅に着くとすっきりしてるっていうのはよくやっています。
ここでゆっくり呼吸を数回できるとこの2駅が長く感じられるから不思議です。

電話を掛けるのが苦手 【嫌な理由を考察】

こんばんは、まぬえらです
私は電話きらいです。掛けるのも受けるのもイヤ、特に仕事では。

ここで投稿したように、電話対応する技術自体はあるんです。なのて結果だけみれば電話対応できる人、むしろうまくやってる人。
現にいまの職場では電話対応上手い人的な扱いを受けてます。
でも本当はすごーくすごーくやりたくない。とくにこちらから客に電話を掛けるということがとてもこわいです。


対応できるのになんでこわいのよ、困ることないでしょって言われそう。
私がこわいのは人。ここでは「客」と口頭で話をすることなんです。今の仕事で客先に行ったり、オンライン会議するということはほとんどなく、電話でのやりとりがメインなので、結果としてメインの伝達ツールである電話嫌いになっているだけ。とにかく「客と話したくない」というのが1番です。


それの何がこわいのかということですが。
自責してしまうことで、自分を痛めつけて傷ついてしまうのでこわいんです。その「自責」するようになるきっかけというのが相手の反応です。

  • 罵倒される。乱暴な言葉遣い。「〜だろ?」「〜じゃねぇよ!」とか。これは自責以前に言われたら誰でもムッとくるでしょうが
  • 「だから〜」、「前にも言ったけど」など苛立ちを表現するような言葉

これらの言語コミュニケーション

  • 掛けた時に面倒そうな声を出される
  • 反応が悪い。ひたすら「ハイ、ハイ」しか言わないとか。
  • 上の罵倒と共通して声を荒げる

非言語コミュニケーション

  • 本来の目的とは違う問い合わせを受ける。で答えられないとがっかりされる
  • 無理なお願いや融通をお願いされる
  • 期待通りの反応がない

自分では対応できない出来事がおこる

反対にどんな電話ならこわいと思わずに気軽にかけられるか

  • 受けた時の感じがいいこと(めんどくさそうな声を出さない)
  • こちらの言ったことに対して反応があること(機械的なハイハイじゃない)
  • 無理難題をいわない。他は安くしてくれたとか、正規の手続きを踏まないでなんとかなんない?とかサインめんどくさいとか。
  • 穏やかな喋り方(キレない、怒鳴らない、暴言吐かない)
  • で、こちらが言ったことを理解して受け入れてくれる


そう、こんな相手ばかりだったら、わたしは電話は全然嫌じゃないと思う。それこそいまあるスキルをつかって「得意です!」といえる業務になってるんじゃないかな。
ほとんどの「電話苦手です」っていう人にとって、苦手だと思わせるのは相手とのコミュニケーションなんじゃないかと思います。自分だけの問題じゃない。

でもその解決方なんて誰も教えてくれないんですよね。コールセンターで働いたことないですけど、メジャーなコールセンターだとそのあたりのコミュニケーション術とかメンタルサポートとかもあったりするんでしょうか。

コミュニケーションスキルは本人次第みたいな社会ですから、そんなものどうせないだろうななどと思いつつ、もしあるなら苦手な人ほどそういう職場を経験したら後々他の仕事でも苦手意識少なく取り組めそうだななんて思います、

正直なところ、当たり前のように電話対応あるのやめてほしい。

【心の健康】おしゃれな生活を避けていた【アロマオイル】

こんばんは、まぬえらです

最近ベルガモットエッセンシャルオイルを買いました。1-2年前からアロマを焚くようになって、その前は旅先の専門店で買ったブレンドオイルを使っていました。
いまはそんなアロマオイルがある生活をしていますがかつてはアロマテラピーなんかは避けてました。自分には向いてないと思っていたんですね。


その理由、アロマテラピーってなんかおしゃれな生活の代名詞みたいに考えていたから。

丁寧な暮らしとか素敵な部屋に住んでる人はアロマ焚いてそうってイメージがあった。昔、アロマ焚けばおしゃれな生活が演出できるって思って昔やってみたことがあったんだけど、より自分の考えるおしゃれ感を出そうと『素焼きポットとローソク』でやっていて、あまりにも手入とか焚くこと自体面倒になっていつの間にか廃れました。それで、こういうのを続けられないのは自分にあってないからだなと思って、それからずっと手を出してなかったんです。

あともう一つ避けていた理由。その効果を説明されればされるほど、胡散臭い擬似化学のように思っていました。それは学生自体の知人の影響でもあるんですが、アロマテラピーは最強・完璧・素晴らしいって考えていた人がいて、自分は物事にのめり込めるタイプではないから、相手の熱意に引いてしまいあやしいな〜って思うようになりました。

化学療法以外は受けつけないなんていうことではなくて、そんなになんでもアロマで解決する訳ないだろって思ってしまう訳です。これは今でもそう思っていて、アロマオイル療法も別に受けるのいいけど、これで”かんぺき”とかは絶対考えられないタイプです。だからアロマにこんな効能が〜、薬要らずです!と謳われても「そんなのめり込んでんのひくわ」って思って自分はやらんでおこうとなるのです。

それでもいまはオイル焚いたりしてますが、上のような理由でやめちゃったけどやっぱりアロマのある生活に興味があったからなんですよね。
そう考え直したのは、いくつか自分の記憶に残っていることがあったからです。アロマに興味ない(自分に合わないと思っている)のになんでこんなこと覚えているんだろうと振り返ったときに、面倒臭くてやめたけど興味ないってわけじゃないんだろうなと考えました。

ひとつは、以前一緒に仕事をした人でいつも良い匂いの人がいてその理由を聞いたこと。どうやら家でアロマをずっと焚いていると、だから服にもうつってるのかもしれないですっていってて、へぇーって思いました。なんかいつも良い匂いを嗅いでいられるのいいなーと思ったんですよね。で、それは何年も前の話なんだけど未だに覚えているくらい、自分に刺さったんでしょうね。
あとマッサージとか行った時のオイルの匂いとか部屋自体に漂う香りとか、いいにおーい!はあとだけじゃなくて、やっぱりいいなーって思っているみたいなんすよね。あそこのスパの香りよかったなーとか、似たような香りを嗅いで〇〇がこんなにおいだったきがする、とか覚えている自分。
そんなこと思っていたとき、当時の同僚(見た目ゴツいジャンクフード好き男性)と雑談してたら彼が「最近こういうアロマオイル買ったんだよ。どう思う?」って聞いてきたんです。え、丁寧な暮らししてて、無農薬の野菜ばっかり食べてるような人じゃなくてもアロマってやるんだ⁉︎みたいな偏見に満ちたアホな感想をもってしまったんです。でもそれで一気にアロマ焚いてみるかっていうハードルは下がりました。あの時は彼にいい匂いだねくらいしか言えなかったけど、いまはもうちょっと気の利いたことが言えそうです。

なんだかんだと続けてるのは、おしゃれのためじゃないのと、楽なコンセントぶっ刺すだけの方法を選択できたからです。くあと自分なりにアロマは効果あるなと思えているので、気が向いたらオイルたらしています。

別にアロマ焚いからって、この慢性鼻炎が治るわけでもないし、体調が常にいいわけでもないし、もちろん運気が上がるなんて謎の効果もないです。でも自分がいいなと思った香りが身近になると気持ちの面でちょっと楽にになる。すごい楽になることもある。
アロマポットはたいていライトもつくので間接照明ほどの明るさはなくてもストレッチとか瞑想タイムに使える光でもある。便利で癒される。そういう効果です。

前まで使っていたブレンドはその旅先の東洋って感じを表現してるなって思った。その時の旅の感じとあっていて心地よかったので買った
いまのベルガモットは、スパでこんな感じのを焚いていて、その時自分はこういう香り好きだなって思ったんで選んでみた
そういう選ぶ基準も、昔のようないかにおしゃれ度が高いかどうかではなく、自分なりの理由が基準になっているので、自分に関する情報が少し増える。
親が出した選択肢の中で生きてきた人間は、自分という人間を意識しないで生きてきてるので、アイデンティティがやわい。だからこういう自分の好きな物事情報は自己確立にも大切だと思っています。

アイデンティティの話になったけど、癒し効果だけじゃなくて自分情報増えるって意味でも効果あったなと思っています。特に意識してなかったですけどね。